社会人が小学校の先生を目指すにあたり知っておきたい基礎知識
社会人になって改めて、小学…
「研究室訪問」
仏教学部 仏教学科 講師 市川 定敬(いちかわ さだたか)
勉強嫌いで進んだ哲学の道 その学びへの疑問からたどり着いた法然上人の浄土教
私は愛知県出身で、実家はお寺でした。中学の頃から、勉強に拒絶反応を示し、勉強せずに生きるにはどうすればいいのかと考えるようになりました。しかし、高校生になり将来を考えるにあたって、父親と議論することになり、私はこれまで一貫してきた持論を執拗に親に訴えたのです。それを受けて父親が言ったことは「そこまで理屈をこねるなら、哲学を学べばいい」ということでした。私は、「じゃあ、勉強しなくてもよい理論武装をしよう」と大学は哲学科に入学したのです。
入学後は倫理学コースへ進み、やがて浄土教でいう悪人正機の「善悪」の概念に疑問をもつようになりました。こういう文脈では得てして、日常的ではなく宗教的な意味での善悪であると説明されます。そのことを懐疑的に考えるようになりドツボにはまってしまったのが、今日まで、私の研究テーマとなっている法然上人の浄土学です。法然上人の言葉には、「世間も出家も大して変わらない」というものがあります。当時の比叡山で教えていたのは観念論的な仏教学でしたが、法然の教えは日常の具体的な行で救われるものだったのです。私はその教えについて研究したいとの思いで法然の浄土学研究にのめりこむようになったのです。
市井に生きる人々を極楽浄土へ導くわかりやすい法然の教え
法然上人の浄土の教えは、簡単に言えば「自分で修行して悟りを開けないような人も、南無阿弥陀仏と仏の名前を呼べば、必ず仏様がいる世界、極楽浄土に行けますよ」というもの。その世界観は、たとえば部屋の中でのお念仏も、東側よりも仏様の国に近い西側で唱える方が良いといった具体的なもので、誰にでも理解しやすいものです。ところが、理解しやすいがゆえに信じがたいのが実際ではないでしょうか?
私の研究テーマは、法然の人間観です。このわかりやすい、実践しやすい法然浄土教を「まさにその通りだ!」と納得する道筋はないものか?インドで生まれた仏教が、中国を通って日本に入り、平安時代に恵心僧都が…、奈良仏教では…が議論されて…。こうした歴史を知れば、私自身が阿弥陀仏の浄土に生まれることができるという教えを納得できるだろうか。もちろんこうした事柄も大事ですが、私自身は、もう極楽へ行かなければなんともならない“人間”というものを、法然上人は観ていたのではないかと思うのです。だから、人間観が上手に説明できれば、法然上人の浄土教を上手に説明できるというのは、私が見当をつけるところなのです。
仏の名を呼べば極楽へ往けると『無量寿経』に説かれているから、あるいは中国の僧侶が記した書物に書かれているからと言えば説明にはなってしまう。でも、法然上人は、そこに単なる記述以上の何かを見出し得たから、現実に生きる人間に身近で実践的な教えである浄土宗を開かれた。私は、宗教の形而上学的な教えよりも、それを受け入れざるを得なかった必然性を知りたいと考えています。人間の存在は、決して形而上学的ではないと。
すべての人を救う浄土の教えを語ることとは?
「市川君が、法然の文献をすべて読んで、法然が読んだものをすべて読んで、そして“法然がわかった”と思って市川君が語る法然は、どこまでも市川君の法然なんだよ。」
学生時代に先生に言われて、今でもずっと意識している言葉です。法然上人に関する研究においては、信頼できるテキストがずっと問題となっています。直筆文献がほとんど現存しないからです。そうした状況で、伝えられてきた法然上人の言葉を、ある意味、再組織化しながらその思想について理解しようとしているのが法然上人研究の現状です。これこそが法然上人の真意である!と。しかしながら、法然上人から直接教えを受けた弟子たちでさえも6派が形成されたと言われています。6人の弟子たちにそれぞれ異なった教えを伝えられたのでしょうか?
私が理解して私が語る法然が、私の法然でしかないのならば、テキストの問題だって逆手に取れるんじゃないかと思うのです。法然上人のもとには実に様々な人が集まり、その教えによって救われたと伝わります。多くの人々を救ってきたその教えが、何かしら原理主義的なものというのは考えにくいのです。
私は、“面白い浄土学”をやっていきたいと思っています。浄土の教えに興味のある人が敷居の高さのようなものを意識しない、一人ひとりに語りかけてくる法然上人。だからこそ、同じ興味関心を持つ人たちがお互いに語り合う意味があると思うのです。そしてそんな仲間がどんどん増えていくという…。
[経歴]
佛教大学大学院文学研究科博士課程修了
博士(文学)、浄土宗総合研究所研究員、佛教大学法然仏教学研究センター嘱託研究員
(佛大通信2016年7月号より)