通信教育クロストーク

2016年04月09日
川村覚昭研究室(教育学科)

「研究室訪問」
教育学部 教育学科 教授  川村 覚昭(かわむら かくしょう)


「人間の存在」とは?親鸞の教えに共鳴し、仏教を友にした学生時代

 私はお寺に生まれ育ちましたので、私の生活環境はおそらく他の人とは大きく違っていたと思います。そのことが原因かはわかりませんが、私は子どもの頃から、無意識に「人間という存在や命」について感じることがありました。それと同時に歴史が好きで、中学時代には「人間はどう歩んできたのか」ということを知りたく、多くの関連書籍を読んだ記憶があります。さらに高校に進学すると、「仏教をしよう」をテーマに「仏典クラブ」を作り、僧籍をもたれた先生を顧問にして、興味のある仲間たちと一緒に仏教の考えや親鸞の言葉がまとめられた『歎異抄』を読み、また、その学びを冊子にまとめ学園祭で配布するなどの活動をしました。さらに、大学時代には「歎異抄研究会」というサークルを作って宗教哲学を専門にされた武内義範先生を中心に、親鸞の思想を宗教学、哲学、倫理学の面から研究しました。

 やはり、昔から、そして現在でも関心があるのは「人間の存在とは何なのか」ということです。その根本的な問いに対して、今になって一つ見えてきたものは、「生の背理性」という現象です。良かれと思ってしたことが、必ずしも良くならない。私たちはそうしたことを教育の世界でよく経験します。子どもが、親や教師の善意や願いとはおよそ違う行動をとるということもその一つです。

 現在、私が研究する教育学には、宗教学、歴史学、哲学、倫理学などの叡知から出てきた人間学的視点が、深く連鎖・関連しているのです。

西洋教育の批判と東洋思想との融合、ハイデッガーという偉人の考え

 教育に仏教など東洋の思想を取り入れることが、現代教育を再考する上での私のテーマです。現代の日本の教育は、西洋の教育学が根本にあり、デカルト以降の、人間の中心は「理性」であり「個」が中心であるという理論が基になっています。実は、そこに問題があるのではないか。元来、日本人は、仏教の「共に生きる」教えを大切にしていましたが、そこが今消えているのではないかと思うのです。

 このことを早くから西洋で唱えた人物がいます。マルティン・ハイデッガー(1889-1976)というドイツの哲学者です。彼は、個から始まる西洋思想を批判し、共に生きるという仏教の思想に似た理論を打ち出した人物で、大学時代から私は彼の考え方を研究していました。

 彼は、ソクラテス以降の西洋で常識とされてきた「有論」の考え方を破壊し、存在するという意味の「有」と、イメージできる「有るもの」とを区別する考え方を提唱して、「有」そのものに注目しました。そのとき明らかになったのが「無」との繋がりです。英語で“abook”は、一冊の本という意味ですが、“a”には実は「無い」という意味もあります。例えばギリシャ語で「真理」を“aletheia”と言いますが、それは“letheia(覆い)”を“a(無くする)”という意味です。英語の“discover”に通じます。これは日本語では「発見」と訳しますが、文字通りの意味は「カバーを取る」です。西洋の教育学は「有るもの」としての「個」から考えますが、私が追究するのは、そうした教育学によって覆われてしまった「共に有る」教育です。ギリシャ語の語源から考えると仏教につながる「有」の思想が西洋ではソクラテス以前にあったのです。面白いと思いませんか?

私の研究の礎であり、永遠への原動力、それは、大切な師との出会い

 私には、前述した考えに導いていただいた二人の師がいます。一人は大学時代の研究サークルの武内先生。そして、もう一人が、上田閑照先生です。上田先生は、世界的にも知られた学者で、宗教学、人間学を主に研究されていて、西洋の哲学と日本の宗教の融合という視点からハイデッガーにも精通されています。私が研究している学問分野の先駆者的な存在です。「私の学び」を考えると、このような師を持つことはとても大切なことだと考えます。

 こうした師たちから学んで見つけた学問研究の方法の一つに「現象学」があります。私の専門である「教育」を考える上でそれは有効だと考えます。たとえば、少年少女の非行を考える時に、その問題を起こした子どもたち個人をただ考えるのではなく、その非行の根本には何があるのかを考えるということです。わかりやすく例えて言えば、お医者さんが皮膚の湿疹を診た時に、その現われから根本の原因を探ることと一緒です。現れた症状から隠されている現象(病原)を露わにするのです。

 そういう意味で、物事は先入観を持って考えてはいけません。子どもを知るには、環境などの周辺や生まれ育った生き方など広い視点で事実を見つめ、日常性を捉えていくことが大事です。教育学を研究する上で、先入観を持たずに客観的に事実を見る視点は、きわめて大切なことだと私は考えます。


経歴
1948年 京都市生まれ
1972年 京都大学教育学部教育人間学講座卒業
1977年 京都大学大学院教育学研究科博士課程教育人間学講座単位取得
1977年 聖徳学園岐阜教育大学専任講師
1981年 京都産業大学専任講師
1990年 京都産業大学教授
2009年 大谷大学教授
2015年 佛教大学教育学部教授、京都大学博士(教育学)

[専門]教育人間学・教育哲学・教育思想史・仏教教育学

[現在]佛教大学教育学部教授、日本仏教教育学会名誉理事、石川県白山市主宰暁鳥敏賞選考委員、公益法人松下社会科学振興財団理事 など

[著書]『教育の根源的論理の探究-教育学研究序説-』(2002 年、晃洋書房)、『島地黙雷の教育思想研究-明治維新と異文化理解-』(2005 年、法蔵館)、『教育の根源-人間形成の原理を問う-』(2010 年、晃洋書房)その他、共著、翻訳等多数

 

(佛大通信2016年4月号より)

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