社会人が小学校の先生を目指すにあたり知っておきたい基礎知識
社会人になって改めて、小学…
文学部 中国学科 卒業生
私が佛教大学に編入しようと考え始めたのは、ずいぶん前からであった。目標は、学士資格を取ることである。振り返れば、短期大学の2年間は学問と呼ぶにはあまりにもお粗末な学生時代だった。あの頃は自ら勉強したいものも漠然としていて、ただ司書の資格を取るために入学したようなものなので希望の学校だったわけでもない。せめていつか「大学」を卒業したい。そう考えるうちに年齡(とし)を取り50代に入ってしまった。若い頃から京都が好きだったこともあり、京都の北山あたりで授業を受けられたら・・・・・・というのは憧れであった。さらに通信学部の中国文学関係・・・・・・と駒を進めると、この大学に絞られてきた。見学に訪ねたこともある。つまり思案している時間の方が在学していた時間より長かったと言える。
編入を決めたのは、息子が就職をして家を出たのがきっかけだった。授業を受けるのは35年振り、 55歳の春だった。東京での説明会では、仕事との掛け持ちでも何とか学べるのではないかと少々安易な気持ちで入学手続きをしたが、オリエンテーションに来てスクーリングの内容と共に、詳しい話を聞くうちに、気持ちはかなり厳しい状況に変化した。甘かった、早まったかな、とも思った。しかし、もう手続きはしてしまった。頑張るしかない。
私の場合、テキスト履修は5種類なので、努めて毎月書き上げ提出しようと計画するが、そう思うようにはいかず、再提出なども含めるとやはり1年近くかかってしまった。科目最終試験後は学習相談室に寄り、過去問題傾向をチェックして帰ったが、私は幸運だったようで、テキスト履修リポートにほぼ近い設問で試験を受けることができた。
問題はスクーリングである。当時は土曜の授業はなく日曜日が連週で組んであるという時間割であった。仕事の傍ら、毎週日帰りで京都に行くというのは大変で、交通費もバカにならない。それでも上手く科目を組み合わせて、クリアしないと規定の単位に満たないため、早朝4時起きで始発の新幹線で通ったことも何度かあった。それにプラスして夏休みをやりくりし、最初の年は2週間の滞在を決めた。宿はオリエンテーションで知り合った友人2、3人でウィークリーマンションをシェアした。1年目はスクーリングの要領もわからず、シラバスをよく読まなかったために、演習と称する授業では難航した。これは前もってきちんと予習していかなければ授業には臨めない。滞在中に慌てて図書館へ行き予習をした。しかし、 6限までびっしり入っている日が多く、図書館へ行けるのは放課後しかない。貸出利用をして宿で夜遅くまで予習。さらに授業の終わった科目はリポート締切が滞在中に迫ることもあり、同時進行で作成しなければならない。中国学科の文学演習や講読というのは、ほとんどが原文と漢文訓読の読みをしてから日本語訳と解釈をしていく、というパターンなので中国語初級者の私などは原文にピンインを振るだけで多大な時間を要した。スクーリング前に余裕を持ってテキストが到着してくれればいいが、中には1週間前ということもあり、それを見込んでシラバスの内容からテキストに沿った参考書を探すことから始まる。そこで活躍するのがやはり図書館である。地域の図書館で十分だ。幸い、私は高校図書館の司書をしているので、図書検索は容易にキャッチできた。が、古い作品やあまりポピュラーでないテキストであれば図書館でも資料が少なく、中国書籍の古書店や、ネット販売を利用して参考書を取り寄せたこともある。また、授業では辞書は欠かせなかった。電子辞書が主流ではあるが漢和辞書は紙媒体のものも必需品である。さらに、佛教大学の図書館、特に地下室の中国関係、歴史関係の蔵書は利用価値が高かったように思う。それと研究室にある図書も貴重なものが多いので、先生にお願いして一通り確認させてもらうことをおすすめする。貸し出しもできるので、ぜひ、利用させていただこう。研究室の廊下には通学生の模範卒業論文が納めてあったり、図書館の2階にも優秀論文の棚がある※ので、論文に取り掛かる前に何回か訪ね、参考にした。授業のなかでは論文の書き方や形式などは教えてもらえないので、卒業論文については時折開かれるセミナーや、参考書等で書き方を学習するしかない。先生からの面接指導では、題目や内容面での相談で終わってしまうからだ。
論文については、取り掛かるまでにかなり時間を要してしまった。題目を3回変えたこともあり、結果的に半年延びてしまった。先生が言われたように、題目が決まれば、 70%は書けたようなものだ、というのは嘘ではない。そのためには標題は具体的なテーマの方が書きやすいということだろう。あるいはサブテーマにほとんど答えが出ているという場合も少なくない。指針を決めればそれに向かって書き出すだけある。実際、無の状態から2年間で研究論文を何十枚も書くと言うのは、考えただけでおこがましい気がするし、途方もない海原を眺めているような気持ちにしかなれなかったものである。自分の目指す得意分野を掘り下げることも必要だが、少しでも興味を持った事柄、人物、疑問点、場面などを箇条書きにしていった先に書くことがあふれ出てくることもあるので、それを突き詰めていくことで解決するのではないだろうか。
入学前は、憧れの京都で授業のあとちょっと散策でも・・・・・・などと考えていたことは脆くも吹き飛ばされた。この2年半、大学への道以外寄れたところはほとんどなかった。時折、クラスメイトとのファミリーレストランでの会食、そして昼休みのわずかな時間、学食で味わったメニューと仲間とのおしゃべりが今ではかけがえのない体験と思い出になっている。
※現在は開架していません。
~プロフィール~
東京都出身。一般企業の勤務を経て、母校の高校図書館に勤務。
2012年4月 佛教大学文学部中国学科3年次編入学
2014年9月 同卒業
(佛大通信2015年6月号より)