社会人が小学校の先生を目指すにあたり知っておきたい基礎知識
社会人になって改めて、小学…
仏教学部 仏教学科 浄土・仏教コース 卒業生
2014年9月25日付で文学の学士号を京都の佛教大学からいただいた。
家庭が困窮し他人より5年遅れの27歳の時に大学を出て、法学の学士号をいただいている。だから40年ぶりに二つめの学士号ということになる。生涯に二つも大学を出るとは思っていなかったので、嬉しいやら恥ずかしいやらで卒業式を迎えた。妻と長男夫婦と孫2人とともにという一大イベントであった。
学習・科目試験
テキストを読んでリポートを教科書片手に書き上げるのが基本である。難儀なのは科目最終試験というのがあって、「持ち込み不可」である。40年前の大学の試験は「持ち込み自由が多かったぞ」と思ったが、通信教育は自分でテキストを読むだけだ。授業を聞いていないので理解できているかどうかを見るためにも「持ち込み不可」なのだ。これは冷や汗が出た。リポートは教科書片手に書けばいいが、試験になると何処がでるやら判らないから、教科書の内容を理解して覚えて書けるようにしないといけない。「ええい!」とヤマを張った科目は案の定2科目落ちた。
スクーリング
これは授業を受ける科目である。1年前の山場は1週問、京都のホテルに泊まり込んだ。朝9時から夕方5時30分まで授業は、30人前後。「欠席、遅刻はできず、代返不可、抜け出し絶望、そしてなんと居眠りできず」と五重苦だった。「これが当たり前だけれど、 40年前の大学の学生時代よりきついなあ」と思いつつ耐えた。腰が痛くなった。しかしスクーリング後のリポートはけっこう書けた。「先生の話を聞く、授業を受ける、ノートをとる」ことの大切さが60代後半で身にしみた。大学ノートが4冊ほどいっぱいになった。
卒業論文
「えらいこっちゃ」だった。
40年前の最初の大学では、4回生の時にゼミナールでリポート発表をしただけだ。
その後の生涯では教員をしていたし、県の教育行政職で公文書も扱った。市の社会教育関係の課長、中学校長と研修や試験も相当受け、リポートなら随分書いた覚えはある。読売・朝日新聞の「論点」「論壇」なども書かせていただいた。短期大学の准教授時代には「研究紀要」 も執筆した。しかしテーマを絞り込んで400字詰め50枚。学生としての「論文」は初めてである。何を題材にするか。私の住む明石市内には全国で一番大きい部類のお地蔵様がある。15メートルもある。その真言宗「密蔵院」には油掛のお地蔵様もある。「お地蔵様」を調べることにした。仏教学部の曽和先生にご指導いただいて油掛地蔵様、地蔵信仰のあり方に絞ることにした。「密蔵院」へお伺いし、ご院主にお訊ねした。関係者をご紹介いただいた。さらに地蔵関係の本を買い込んで読みあさった。
初めにやっと50枚書き上げて送付したら、曽和先生から三分の一が削られ、朱書きだらけで返ってきた。なるほど、余分なことを書いている。三分の一を埋めるということは、全面的に害き直すことである。青息吐息で再送したら、またまた沢山の部分に手が入り、さらに「根拠を示せ」と註釈も多い。資料の箇所をきちんと整理しておかなかったから、改めてひっくり返すことになる。調べ直し、註釈を打ち直しということを何度したか。ようやく4回目に「2力所手直ししたら清書してよろしい」と許可が出た。
口頭試問
最後に論文に対する口頭試問があった。どのようなことを聞かれるかと調べたが判らない。とにかくもう一度論文を見直し、細かい事項を暗記し直し「半分破れかぶれで、ドキドキしながら」2時間かけて京都にでかけた。曽和義宏先生の隣には学部長の川内教彰先生。結局、字句の暗記力ではなくて、地蔵尊の 思想的意味について大きな立場からお話があった。会話のやり取りで私が勉強したかどうか、どの程度理解しているか判別されたのだろう。 現在では同年齢集団の半分以上が行くという大学だが、卒業論文が不要な学部も多い。そんな中で貴重な経験をさせていただいた。
学生生活と人生
佛教大学の学生生活は修得ミスの単位があり、論文の書き直しがあり、卒業が半年ずれ込んだ。けれど5回生の秋、無事「学位記」という卒業証書をいただくことができた。またチベット密教とか南方仏教の本を読む貴重な機会もいただいた。「おかげで」眼から鱗の勉強をさせていただいた。前から観念的にはお釈迦様の三法印や縁起の考えと、日本の仏教は乘離していると思っていた。ご僧侶方が「儀式仏教」からなんとか「中道」や「四聖諦」に導かれようとしている苦労もわかってぃた。勉強が進むと、中国・日本の大乗仏教が初期仏教とは相当異なっていることに気がついた。でまあ、いま『ダンマ・パダ』なんていうお釈迦様の直接の教えである初期仏教関係の本を読みあさってい る。どうも人生の、生きる意味が掴めそうで有り難いことである。また若い方数名の友だちができて、メールのやり取りをしている。京都のお寺の方が多いが、愛知県や東京の方もおられる。
人生二つめの学士号取得は「万々歳」だが、それよりなにより人の輪が広がり、さらには仏教に対する大きな目を開かせていただいたこと が嬉しい。人生の終末期に自己反省と心を清くする生活が現れだして歓喜している。幸い退職後も女子大の非常勤で若い方に文学関係の講義をしている。自分が学生になって改めて教えることの意義を認識できた。
末尾になったが、学習を支えてくださった事務局と、ご指導の先生方に深謝したい。最後に、通信といっても、なんやかやで年金暮らしには厳しい出費となった。妻に感謝するしかない。これからは「慈悲喜捨」の精神を大切にしつつ、身体と頭脳と心のストレッチに気をつけて、佛教大学の学士号に恥じない勉強を続けたいと思っている。
~プロフィール~
1947年 神戸生まれ
1998年3月 佛教大学通信教育課程図書館司書資格取得
2012年4月 佛教大学仏教学部仏教学科浄土・仏教コース3年次編入学
2014年9月 同卒業
(佛大通信2015年4月号より)