通信教育クロストーク

2015年10月23日
ボディ・カウント

「学部長の手帖から」
文学部長  野間 正二(のま しょうじ)

 ボディ・カウント(body count)という英単語をご存じでしょうか?

 一般的に使われはじめたのは、比較的新しく、ベトナム戦争時(1961?~1975)から。ベトナム戦争では、とくに戦争後半では戦線が入り乱れていたうえに暖昧で、戦闘が生じても、その結果、どちらが勝ったのかもよく分からなかった。そこで米軍は、敵兵士(と称する人間)の死体の数を公表して、戦闘に勝利した証拠としようとした。敵を××人殺したのだから、その戦闘には勝ったというわけだ。数字はとうぜん水増しされた。

 そのとき使われた単語が、ボディ・カウント(=死体の数)。ボディには、身体の意味だけでなく、実は、死体の意味もある。だから英国生まれで、現在は世界展開している自然派化粧品や雑貨の店「ザ・ボディ・ショップ」が生まれたときには、そのネーミングが話題となった。

 さて、戦闘における勝敗を、死体の数で計測し表すというのは、現在の戦争の残酷さと非情さとを象徴している。兵士は、ひとりの人間ではなく、たんなる数字にすぎないからだ。そこでは、人間的な感情が入りこむ余地がない。それまでひとりの人問として生きてきた、それぞれ個別の人生を想像することが拒絶されている。

 本年3月3日、米軍の現地の司令官が、米軍を中心にした有志連合は、空爆などで過激派ISの兵士を8500人以上殺害したと、米下院の公聴会で証言した。

 テレビでは、空爆の様子を放映している。不鮮明な白黒の画面に、爆炎らしきものが立ちのぼり、建物らしきものが飛び散っている。無機質で、まったくリアリティのない画面だ。人が殺されたり、人がそれまで生活していた空間が完ぺきに破壊されているのを想像するのはむずかしい。しかし確実に人が死んでいる。建物は確実に破壊されている。

 8500人というボディ・カウント(死者数)と不鮮明な白黒の画面とには類似点がある。どちらも、残酷で非情な現実の生々しさを消しさる効果がある。私たちは、8500人という数字を聞いても、すぐには戦争の残酷さ非情さを想像することはない。その8500人という数字をなんとなく受けいれて、なんとなく納得してしまう。

 やはり、このなんとなく受けいれて、納得してしまう態度に、意識して抵抗する必要がある。私たちは、想像力をふりしぼって、その8500人のそれぞれにはそれぞれの人生があったし、たとえ過激派でも、傷つけば血を流すことを想像する必要がある。また、いくらピンポイントの爆撃だとはいえ、空爆だから、死者8500人全員が過激派ではありえないことも推測する必要がある。

(佛大通信2015年5月号より)

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