社会人が小学校の先生を目指すにあたり知っておきたい基礎知識
社会人になって改めて、小学…
「学びのサプリ」
文学部 日本文学科 教授 有田 和臣(ありた かずおみ)
作者が守り抜いた物語の世界観に魅せられて
規模の小さい小学校に通っていた私は、3年生の頃には校内の図書を読み尽くしてしまい、日曜日には隣の市の大きな図書館にまで出かけて本を読んでいました。それほど物語の世界は魅力的でした。
本を読んでいるうちに物語の世界に入りこんでしまい、まるで現実の世界のようにその世界を生きる体験をすることがあります。私の場合、それを最初に強く自覚させられたのが、小学校3年生になったばかりの頃に読んだ『だれも知らない小さな国』でした。自分と同じ小学校3年生の男の子がコロボックル(妖精)の国を見つけ、大人になって戦争期を経験しながらも、彼らの場所と生活を守っていくストーリー。今読み返しても、児童文学とは思えない細やかな描写があり、決して易しい内容ではありません。でも夢中にならずにはいられない、強烈な魅力がありました。
コロボックルの国は、作者自身が戦時中も守り抜いた、心の中の秘密の国(物語世界)を象徴していると思います。実生活から見ると、何の実益ももたらさないそのような世界を、作者は厳しい時代にあっても必死で守り抜いた。その体験がこの物語を書かせたのでしょう。
密かに抱え続けた思いを日本一有名な哲学書が代弁
しかし、いつも読後には取り残されたような寂寥感が押し寄せます。それが辛くて、本を読むことを職業にしようと出版社や書店への就職をめざしましたが、何か違います。高校で国語を教えましたが納得いかず、読むことを生活の中心にしたいとの思いが募り、大学院に入り直しました。
そんな私の思いを解説するかのような1冊に出合います。西田幾多郎著『善の研究』です。西田は、「無私」になるほどに「本当の自己」が現れると表現しています。理解しようとしている対象を一心に味わう時、「本当の自己」が対象を映す「鏡」となって現れます。そこに映る映像を、自己と対象一体のものとして味わうことで本当の理解ができる、と。これは物語を読み耽っている時、自分という意識が消えて物語の世界に没入してしまう体験そのもの。西田の言葉を借りて言えば、私たちはこの「本当の自己」を知るために物語の世界にのめり込むのかもしれません。
私が密かに、自分の中で守り育てて行くものだと思っていた世界を、日本でもっとも有名な哲学者が堂々と、しかも並み居る学者たちに向かって主張していたことに大変驚くとともに、力づけられました。自分と同じように感じ、考える人が学者の中にもいたのだと思ったのです。
書物に勇気づけられて思想潮流の盛衰を解く
今から30年ほど前のこと。ニーチェ思想を研究している友人の話を聞くうち、小林秀雄の主張に似ていることに気づきました。同じ主張をする批評家はいましたが、その関係を証明した研究者はいなかったので挑戦しようと思いました。ところが小林秀雄は、フランス文学・哲学の影響を受けたとされている批評家です。「そんな研究は誰からも認められない」と先輩研究者から忠告されました。しかし自分が間違っているとは思えません。
文献を探すうち、和辻哲郎の『ニイチェ研究』が、一種神秘的でさえあるニーチェ解釈をしていること、その中の多くの用語や言い回しを、小林が(「引用」だとは断らず)借用していることに気づきました。この方向で間違いないと信じて調べるうちに、この本が「大正生命主義」と呼ばれる思想潮流が日本に生まれたことを示す、大変重要な著作の一つであることが分かってきました。
『ニイチェ研究』で解説されているニーチェ思想は、意識を超えた自分自身の深い内奥にある“生きようとする力”を伸ばすことが最も重要だとしています。そのためには外の尺度に一切頼るな、世間の常識的な価値観に左右されるのは弱者で、自分で自分の価値尺度を作るのが超人(強者)だと。一歩間違えば傍若無人な人間を生みそうですが、精神も身体も、主体も客体も、すべてが混然と一体になった経験こそが本当の生の経験だから、我を消し去り、自分の中の“生きようとする力”を活発にする方向に身をゆだねて行けば、すべてが自然と調和するとも言うのです。それはまるで、学界とは異なる方向に研究を進めようとする私を激励するような内容でした。
この書物と『善の研究』、小林秀雄がいつしか繋がって、一つの思想潮流の消長を解く鍵になり始めています。不思議な巡り合わせだと思います。
[経歴]
1962年、福岡県生まれ。
筑豊炭鉱の間近、小学校への通学路(山道)で猪や狸とすれちがうような山中で育つ。中学生の時、東京に移住。芸能人のデーモン小暮や劇作家の平田オリザが同級生となる。標準語で喧嘩する級友を見て呆然とする。早稲田大学、立教大学大学院(修士課程)、筑波大学大学院(博士課程)を経て佛教大学講師に着任、2007年より現職。
(佛大通信2019年3月号より)