通信教育クロストーク

2019年03月13日
伝統製法を受け継ぎ宇治抹茶のブランドを支える。

KYOTO TIME TRAVEL
伝統をつなぐ・未来をつくる・京都をめぐる

宇治市をはじめとする京都府山城地域は鎌倉時代からお茶の生産が行われてきたことで知られる地。福文製茶場は、抹茶の原料となる「碾茶」の栽培から加工までを手がけ、最上級の抹茶を提供している。5代目の福井景一さんを社会福祉学科の加美先生が訪ねた。

福文製茶場
1901(明治34)年、福井文吉氏が製茶業をはじめる。同じく製茶業を営んでいた文吉氏の兄が、煉瓦造りの碾茶乾燥機を発明。福文製茶場でも約90年前に同型の煉瓦炉を作り、煉瓦を熱したときの輻射熱による芳香を特徴とする宇治抹茶を完成させる。現在も宇治川沿いで有機肥料を主体に、覆下茶園と呼ばれる日光を遮った茶園で育つ茶葉を自家栽培。丁寧に手摘みした新芽から碾茶を生産し、宇治抹茶ブランドを支えている。

福井 景一(ふくい けいいち)
福文製茶場5 代目。抹茶の原料となる宇治碾茶の栽培にはじまり、煉瓦造りの碾茶乾燥機を用いた伝統的な製法による宇治抹茶づくりを手がける。日本茶インストラクター、全国茶審査技術7段位、宇治市茶生産組合 副組合長。2009年、「茶審査技術競技大会」京都大会・個人の部チャンピオンに。

加美 嘉史(かみ よしふみ)
佛教大学大学院社会学研究科修士課程(社会福祉学専攻)修了後、2001年まで大阪・釜ヶ崎(あいりん地区)の西成労働福祉センターに勤務。大阪体育大学健康福祉学部准教授などを経て、2009年から現職。生活困窮者・生活保護利用者の「自立」と「支援」に関する研究をはじめ、「貧困」による困難に直面する人々に支援・制度を届けるための研究に取り組む。

加美先生は宇治市出身。福井さんは、高校時代の部活の1年先輩である。旧知の仲である福井さんに改めて家業を継いだ経緯と福文製茶場の歴史を尋ねた。

煉瓦造りの碾茶乾燥機を発明

加美:大学生の頃は「歴史の勉強をしたい」と言っていて、当時は「家業は継ぐ気はない」と言っていた記憶が。それで同志社大学で歴史学を学んで、予備校に勤務されていたこともありましたね。

福井:ずっと家のことを見ていたら、やはり継がざるをえないよね。

加美:なるほど。ところで、創業何年になるのですか?

福井:調べてみたら、創業は明治30年代。本家は4軒ほど先にありますけど、材木商でした。うちの曽祖父が文吉というのですが、分家するときにお茶をはじめたんです。元々は近江商人だったようです。琵琶湖から宇治川を伝って材木を運んできて、宇治で荷揚げしていたんです。それで明治ぐらいから宇治に定住して材木を扱っていたんですけど、せっかく宇治にいるのだからと、お茶もやっていた。それで、曾祖父は4男だったので、材木ではなく、お茶をしようということになったようです。

加美:それで製茶業をはじめられたんですね。

福井:そうです、栽培からですね。文吉の兄が、煉瓦造りの碾茶乾燥機を発明したんです。聞いたら、宇治のお茶屋さんへ養子に行って、碾茶乾燥機を考えたんです。兄弟なので、同じ型の煉瓦の炉を作らせてもらって、それでいいお茶ができるようになり、取引先も見つけたんです。

加美:いろいろと貢献されてきたのですね。

福井:そうそう、ご先祖様は貢献しているんですよ。

抹茶が飲み物やスイーツ、料理にもよく使われるようになり、空前の抹茶ブームといえるいま、宇治の抹茶づくりに変化はあるのだろうか?

各地からの献上品がこの地に根付く

加美:そもそも宇治で抹茶が作られるようになったのは、なぜなんですか。

福井:歴史をさかのぼれば、鎌倉時代からすでにお茶の産地だったのですが、豊臣秀吉の頃に宇治の周辺で紛い物のお茶がたくさん出たらしいんですよ。それに秀吉が怒って、宇治の街中以外では作るなという禁令が出たんです。江戸時代はずっと禁令が生きていましたので、抹茶は宇治のこの辺でしか作られなかったんです。

加美:あぁ、茶畑も作れる場所が決まっていたんですね。

福井:宇治は古くからお茶の産地だったので、ほぼ市内の9割がお抹茶になる茶を作っています。ご存知だと思いますが、煎茶は江戸時代の中頃に生まれ、玉露はさらに100 年後の江戸時代の終わりぐらいに生まれたので、それまではお茶といえば、お抹茶か、ほうじ茶しかなかったんです。

加美:いま、抹茶入りのお菓子などに使われているのは、宇治茶じゃないんですね。

福井:宇治市内産は、ほとんどないですね。15年前ぐらいに、抹茶味のアイスクリームが発売されてから、抹茶の生産が追いつかなくなり、それまで京都府南部の和束町や南山城村は煎茶の産地だったんですけど、碾茶という抹茶の原料に切り替えて。いまは圧倒的にそちらのほうが生産量が多くて、宇治の10倍ぐらいです。

加美:なるほどね。

福井:そのほとんどが、手頃な抹茶です。

加美:それは、製造の仕方が違うわけ?

福井:基本的には同じなんですけど、機械で大規模に製造するので、僕らみたいに手間隙かけてというふうにはいかない。だから、お点前で飲めるようないいお茶は少ないんです。

加美:合理化されているんですね。

福井:その代わり、たくさんできます。最近では、鹿児島も碾茶に切り替えてきています。

加美:宇治よりも、土地が広いしね。

福井:圧倒的に効率がいいんですね。

加美:宇治は、茶葉の栽培にも向いているんですか? 何がいいんやろね。

福井:土地それぞれにいいところはあるんですけどね。うちの場合は、宇治川の河川敷に茶畑があるんです。地面の下がずっと砂地なので、根が深く入りやすくて、木がすごく元気になるんですね。それと、たくさん採れます。河原は平らなので、一日中お日さんが当たって、スッと伸びるんです。

加美:日当たりがいいんですね。

福井:いいんです。生長が早いわりに、砂地で栄養分が抜けやすいので、肥料はたくさんやるんですけど、葉っぱは、ちょっと薄めです。ほんの微妙な差ですけど。その代わりに、碾茶は葉っぱの状態でサッと蒸すんですけど、蒸しやすい。だから、砂地のほうが碾茶を作る条件としては向いているんです。

伝統的な栽培法と加工法を守り続ける福文製茶場。加工された茶は、数種がブレンドされて初めて、お点前などに使われる最高品質の抹茶となる。

新しい品種、時代の好みも取り入れる

加美:毎年、味は違ったりしますか?

福井:違いますよ。品種もどんどん新しいのが出てきたりしますので、新しい品種と既存の品種のいいところを取ってブレンドすることもあります。いっぺんに変えてしまうとリスクがあるので、少しずつ新しい物も取り入れてね。「いまの味」というのがあるんですよ。「昔の味」というのもあってね。

加美:どんな違いが?

福井:いまのは、味が甘いのが特徴ですね。そういう品種があって。香りも品種によって特徴がありますので。それと、茶葉を蒸した後、乾燥するのですが、煉瓦の炉を通すときの輻射熱によって香りがつきます。温度によっても香りが変わるので、製造のときには気をつけています。香りも、美味しさを感じる一つの要素ですので。うちは古い機械ですので、すごく温めないといけないんですよ。「火の香り」というんですけど、そういったプーンとした香りをつけるんです。それがうちの特徴ですね。最近の新しい工場の場合は、全体的に温度がわりと均一なので、そこまで温度を上げなくてもよくて、火の香りがつくほど温度を上げないんですよ。新鮮な感じを残すお茶が多いのが、最近の特徴です。うちは、それができないので、逆に火の香りを特徴として生かしています。

加美:いま、畑から製造、加工までやっているところはあるんですか。

福井:製造だけが多いですね。農家が5月に製造して、問屋さんに持って行く。それで、問屋さんが加工やブレンドして、小売店へというのが多いんです。うちは、小売りの直前までやっています。小売店は、京都の老舗「柳桜園茶舗」に決まっていて、そこの専属の製造会社のようなものです。柳桜園さんは、お店でさらにブレンドをして、挽き立てを販売されています。

加美:へぇ、ブレンドも大事なんですね。それにしても今日、初めて見ましたけど、90年前の煉瓦造りの碾茶乾燥機はすごいですね! 宇治茶のように、守らなければいけないものってあるのだと、感じました。

福井:せっかくあの機械があるので、お茶づくりを続けていかなくてはと思っています。

加美:量は少なくても、残していかなくてはね。

福井:大量に作るのは、ほかの産地に任せて。

規模や量ではぜんぜん太刀打ちできないのでね、こういうふうに伝統工芸品のような形で、少しずつ続けたいです。

加美:今日は、ありがとうございました。

(佛大通信2019年2月号より)

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