通信教育クロストーク

2019年02月25日
宮澤知之研究室(歴史学科)

「学びのサプリ」
歴史学部 歴史学科 教授 宮澤 知之(みやざわ ともゆき)


理系から文系に転向 自然科学的な考察力を生かして

 父が転勤族だったため、中学まで各地を転々とし、高校は東京でした。当時は理系志望。同級生と切磋琢磨しましたが、研究者になりたかった私は、理系では無理だと判断。大学では経済学や哲学に興味をいだきましたが、歴史学に役立つと考えていましたし、どこか自然科学と似たところがあると感じていました。

 東洋史学科では史料の読み方を学ぶ一方、経済学も理解しなければ中国経済史は研究できないので、経済学部にも通いました。史料という“材料”を料理するためには、鋭利な“道具”、経済学の知識が必要です。経済には法則があります。それをどう見つけるか、仕組みを考えるには、文学的な“人の心”はむしろ不要で、自然科学のアプローチが求められます。その点が理系との共通項だと私は考えています。

 中国経済史は日本の得意分野で、多くの研究者がいますが、経済理論を学んだ人は多くなく、近代主義や自由主義経済といった、自然に身に付いた理論で解釈してしまう研究者も少なくありません。しかしそれでは真の理解は得られません。

交換価値と使用価値 知れば知るほど面白い貨幣史

 中国には「銭1貫と米2石の合計は3貫石」という計算があります。これは、1万円と2ℓの米を足すことができる“複合単位”という考えです。物理学や数学ではあり得ない考え方なので、古い研究者は「例によって中国人のいい加減さが露呈」のような枕言葉を付しがちですが、決してそうではありません。経済学では価値には二重の意味、交換価値と使用価値があります。

 例えば、ボールペンが1本100円というのは交換価値。文字を書く道具であることは使用価値です。

 戦場では、金1両と藁1束の使用価値はイコールです。金があってもそれは大事な馬の餌になりませんから。中国では8世紀から17世紀まで、使用価値が等しいとみなした物同士は合計できるとされてきました。決して“いい加減”だからではありません。

 時代の流れで財政事情が変わることに加え、どうしても今の価値観が関わってくると問題解決は難しくなります。かつて中国には100枚に足らない銭を紐で括る短陌(たんぱく)という慣行がありました。これは77枚しかなくても100文とする慣行で、結わえてある限りは100とみなすという信用の上に成り立ちます。江戸時代も同じで、九六銭といって96枚を100文としたのは有名です。この慣行は東アジアだけの特徴で、金の重量を貨幣価値の基本とする西洋には見られません。

日本の文化のルーツは中国 スケールの大きさも魅力

 私の専門は財政史。貨幣を手段に、日本の26倍もの広さがある国土でどうやってモノを移動させてきたかを研究しています。北から遊牧民が入ってくる中国では、南から北へ物を運ぶ仕組みがあります。いざ戦争となれば数十万単位の人と物が動きます。天下分け目の戦いと言われた関ヶ原でも7万ですから、日本とはスケールが違います。大事な馬を調達するために、内地では生産が限定された塩を専売にするなどの政策が取られました。

 最近、春秋戦国、秦漢時代の貨幣について論文を書きましたが、王莽と三国時代が残っています。通史として完成させるため、銅貨や紙幣などの現物からの研究も進めています。重さや大きさを比較して、どこで造っていたか、私的に偽造された銭である私鋳銭かどうかなどを調べます。概して銅銭は同じ銭名のものは段々と小さくなります。真面目な時代もありますが、太平天国の乱がおきた清朝はひどかった。その前の明代も政府の都合だけで紙幣を発行していました。商人からすると、物資をタダで持っていかれるのも同じ。たまったものではありません。一番真面目だったのはモンゴル時代。商売の基本ルールを知っている、シルクロードの商人たちが担当していたからだと思います。

 今は全国的に中国に関する研究は人気がありません。日本の文化の多くは中国にルーツがあるのですが…。『三国志』や『水滸伝』がきっかけでも良いから東洋史に興味を持ってもらえたら、見えてくるものがあるのではないでしょうか。

[経歴]
1952年尼崎生まれ。都立西高校卒業後、京都大学文学部に入学。同大学大学院文学部研究科退学。文学博士。佛教大学文学部助手、専任講師、助教授を経て、1998年から現職。中国経済史を研究している。理系的発想から経済史をひも解くが、パソコンやスマホの世界は大の苦手。

(佛大通信2019年1月号より)

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