通信教育クロストーク

2019年01月28日
田中耕治研究室(教育学科)

「学びのサプリ」
教育学部 教育学科 教授 田中 耕治(たなか こうじ)


教育評価の分野は心理学の領域だった?

 僕は長い間“教育における評価のあり方”を研究してきました。けれども日本では戦前以来ながく、教育評価は心理学の専門領域とされてきました。そもそもなぜ心理学の先生方が教育評価を担当されてきたかというと、教育評価=測定の分野だと認識されてきたからだと思います。でも、テストの出来不出来だけではなく、教育活動を改善するためには、まさしく教育評価のあり方にメスを入れるべきだと、僕は考えてきました。

 例えば通信簿ですが、以前は5段階の相対評価が主に採用されていました。この方式では、5はクラス全体の7%、4は24%、3は38%…という風に割合が決められていました。数字の根拠は、自然界に存在する大多数なもの。例えば、山の中にある多数の樹高を計測した数値をグラフにすると同様の正規分布曲線(ノーマルカーブ、現在ではベルカーブ)を描きます。1920年代のアメリカの測定運動の時期に、自然界の産物だからという仮説の元、このような数字が設定されました。

 1969年2月にひとつの事件が起こります。当時大人気だったテレビ番組「長谷川モーニングショー」の名物コーナーに1通の投書が届きます。教育熱心な鹿児島のお父さんからのものでした。自分の子どもの1学期の成績が思わしくなかったので夏休みに勉強を頑張らせたところ、2学期はテストの成績が上がった。にもかかわらず通信簿の評点は変わらなかったので担任に疑問や不満をぶつけたところ2学期はクラスのみんなが頑張ったから成績は上がらなかったのだと説明された。番組では文部省(現・文部科学省)に取材を申し込むと、事実上のトップである次官が出演。そもそも文部省では5段階相対評価の通信簿を作れとは命じていない。ただし、非公開である指導要録に基づいて教育現場では通信簿を作っているのだと返答。この発言で、当時の教育界は揺れました。

 小学校では、「通信簿」ではなく「あゆみ」とか「ひろば」

などに名称を変え、4に近い3は4にするなど機械的に5段階を付けないなどの変化が見られました。ところが、中学校では進学のための内申書を作る必要があり、それが学校によってバラツキが出ると困るとの理由から、従来通りの相対評価が続きました。

 変化は、2000年に行われた「指導要録検討のためのワーキンググループ」から。僕はこの会議に教育学研究者として初めて呼ばれまして、相対評価には多様な問題があり、この方法では子どもの学力を保障することはできないと訴えました。文部省側も、今や主な先進国では相対評価は採用されていないという資料を出してくれました。紆余曲折もありましたが、現在は目標準拠評価が採用されています。

教え子たちは、京都だけでなく近畿、海外でも活躍中

 子どもたちの理解がどこまで深まっているかをみる方法のひとつにパフォーマンス評価があります。例えば、小学6年生から2年生に対して、博物館の学芸員になったつもりで恐竜博物館とはどういう施設かを説明させるのです。小さい子相手ですから面白おかしく、でも6年生自身が内容をしっかりと把握していないとできませんね。

 一時、「アクティブラーニング」という言葉が流行りましたが、とにかく行動すれば良いのだという誤解があちこちで起きたため、最近はこれよりも「主体的で対話的な深い学び」という言葉が使われています。それを踏まえて、教える側に求められるのは実践をどう創るのかが大切になってきます。僕が京都大学の大学院で育てた教え子たちは、その力を身に付けるため、高倉小学校に頻繁に通わせていただき、多くのことを学ばせてもらいました。

 きっかけは10数年前。当時の川勝校長先生が教員の授業力アップのために話をしてくれないかと依頼してくださったこと。そこから、院生たちの見学を受け入れてくださるようになり、院生たちと年齢の近い教員と親しく交流するまでになりました。

 高倉小学校は伝統もあるけれども、新しい取り組みなどにも地域一丸となる素晴らしい学校です。現在の岸田校長先生は実にパワフルな方で、地域の祭りでもある祇園祭のルーツを求めて、自らインドに行かれました。戦前、アメリカから寄贈された「青い目の人形」は第二次大戦勃発で多くが廃棄されたのですが、高倉小に偶然にも保存されていました。そのアメリカ人の贈り主を捜し出したり。本当にすごい、実践をされる教育者です。

 僕の教え子は近畿の教員養成系の大学のみならず、中国のシリコンバレーと呼ばれる「中関村」にもいます。本学で僕はまだ2年目ですが、今までの研究成果を生かして優れた教員を育てて行くつもりです。教育界の課題は少なくありませんが、目標準拠評価で育った世代の子どもや孫たち世代が、自らの意思で意欲を持って学べるようになればと願っています。

[経歴]
1952年生まれ。1975年、京都大学教育学部を卒業。同大学大学院教育学研究科修士課程を修了、京都大学大学院教育学研究科博士課程を単位取得退学。京都大学教育学部助手、大阪経済大学講師、同大学助教授、兵庫教育大学学校教育学部助教授、京都大学教育学部助教授、京都大学大学院教育学研究科助教授を経て、教授に昇任。京都大学名誉教授。2017年より現職。

(佛大通信2018年10月号より)

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