通信教育クロストーク

2019年01月07日
400年の歴史がさらに輝きを増し開かれた場に。

KYOTO TIME TRAVEL
伝統をつなぐ・未来をつくる・京都をめぐる

京都の市街地に建つ元離宮二条城。築城から400年以上の歴史を刻み、いまやイベントや展覧会にも使われる開かれた場に。1年間に243万人もが訪れる魅力に現代社会学科の崔 銀姫先生が探る。

元離宮二条城
1603(慶長8)年、江戸幕府初代将軍徳川家康が、天皇の住む京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所とするために築城。3代将軍家光の時代に、後水尾天皇行幸のために大規模な改修が行われ、二の丸御殿にも狩野探幽の障壁画などが数多く加えられた。1867(慶応3)年、15代将軍慶喜が二の丸御殿の大広間で「大政奉還」を表明して江戸幕府は終焉。1994(平成6)年、ユネスコ世界遺産に登録される。

後藤 玉樹(ごとう たまき)
京都市文化市民局文化芸術都市推進室元離宮二条城事務所 担当課長。1958年、島根県生まれ。国立米子工業高等専門学校卒業後、公益財団法人 文化財建造物保存技術協会に入社。国宝・重要文化財建造物の設計監理に従事する。伊丹・岡田家住宅、大阪貝塚・願泉寺などを担当。城郭や町家に造詣が深い。

崔 銀姫(チェ ウンヒ)
社会学部現代社会学科教授。東京大学大学院人文社会系社会文化研究科博士課程単位取得退学。韓国ソウル大学言論情報研究所客員研究員を経て現職。研究テーマは、東アジアのテレビドキュメンタリーの放送空間韓国放送と「歴史認識」。過去を見つめつつ、21世紀のデジタルメディア社会の今と未来のあり方について考察する。

国内外から多くの観光客が訪れる二条城。2011年からは工期20年間の予定で、本格修理事業が進み、すでに東大手門や二の丸御殿唐門などの修理が完了している。

イベントの貸会場としての新しい顔

崔:唐門などがきれいになったと聞いて、一度来てみたいと思っていました。今日も、たくさんの人が来ていますね。

後藤:2017年度は243万人まで来城者が増えたんです。それまでも毎年10万人ぐらいずつ増えてはいたのですが、一気に50万人も増えました。二条城の来城者は、6割以上が外国人で、日本人は4割を切っています。日本人は大政奉還や明治維新に興味がありますが、海外の人にとってはそうではないでしょうから、なぜそんなに伸びたのか理由がわからないんです。あえて考えてみると、パンフレットを日本語も含めて8か国語に増やしたことや、また、全部で28ある文化財については、ほぼすべてに説明板を設置したこと等が理由かもしれません。

崔:親切ですね。

後藤:そういう効果もあったと思いますね。

崔:歴史的な建造物として見てもらう以外にも、イベントなどに使ってもらって、新しい顔を見せた側面もあるのではないですか。

後藤:桜まつりや七夕のイベントではライトアップをしています。二条城をよりよく知ってもらい、昼間とは違う雰囲気を味わってもらうことが目的です。それと、「二条城MICEプラン」といって、企業や団体などの会議、研修、レセプションや展示会、イベントなどの貸会場としても使ってもらっています。コンサートやパーティーがあったりして、普段は文化財には興味がなくて二条城に来ない人も、そういう機会には、たまたま会場が二条城だということで来てくれるわけです。

崔:そういうことですね。

後藤:それで二条城を知ってもらって、「いいところだな、また来ようか」という思いになってもらうことが、狙いなのです。

崔:そういうことが、二条城の新しい顔になっていると思います。二条城のイメージが変わったと感じていて、今後を考えるとはいいことですね。

後藤:はい、今後も続けていきますし、二条城の場合、入城料金やイベントも含めた収入で黒字です。それで文化財の修復も進めることができるのです。

国宝である二の丸御殿は、部屋数33室、800畳もある広さ。将軍の威厳を示す虎や豹、桜や四季折々の花を描いた狩野派の障壁画による装飾が見事である。

狩野派が総力を挙げて描いた障壁画

崔:二条城の見どころを教えてください。

後藤:二条城の魅力は、本物の将軍の館である二の丸御殿が残っていること。国宝にしても、世界遺産にしても、二の丸御殿が中心になるのですが、家康が造った物として唯一残っている建物です。もちろん、神社や仏閣では残っているものもあるでしょうが、二の丸御殿は自分で使う御殿として建てていて、江戸城や駿府城、伏見城、大阪城にしても家康時代のものは残っていませんからね。豪華さでも、当時で一番だったと思います。ただ、大きさだけで言うと江戸城には負けます。一番大きなのは江戸城の大広間でしたが、いまはありませんからね。二の丸御殿で一番大きなのは遠侍ですが、豪華さでは大広間です。

崔:さっき見学して、本当にびっくりしました。すごくきれいで、素晴らしかったです。

後藤:丈夫に造られていることもありますが、管理もしっかりしているので雨漏りもありません。

崔:柱も立派ですよね。

後藤:400年前から、それほど大きくは姿が変わっていないのです。現在の障壁画は、築城から23年後に天皇が行幸した時に描き直したもの。家光時代のもので、そのときに本丸も造られました。いまの本丸御殿は、御所の桂宮の御殿を移築したものですが、本来は天守も、天皇のための行幸御殿もありました。家光の時代には、二の丸御殿と、本丸、行幸御殿と3つの御殿があったのです。当時が、二条城が一番華やかな時期だったといえます。

崔:それは、ものすごく豪華だったでしょうね。

後藤:家康時代の建物としては、二の丸御殿は間違いないと思っています。それ以外では、北大手門は可能性があると思いますが、東大手門と唐門は家康時代ではないんです。この二つの門は、天皇を迎えたときに建てられたことがはっきりしています。これから、修理が進めば、また何かはっきりすることがあるかもしれませんね。

崔:そうですね。

後藤:見どころでいうと、狩野派が総力を挙げて描いた絵が、これだけ揃っていることも貴重です。二の丸御殿の障壁画約3,600面のうち、1,016面が重要文化財で、大広間は探幽が描いています。ただ残念なのは、行幸御殿が残っていないこと。そちらは、1部屋を一人ずつが担当して、一人ひとりが力をこめて障壁画を描いたはずなので、それが残っていれば二の丸御殿を超えていたはずです。

崔:へぇ、そうなんですね!

後藤:ただ、いま二の丸御殿の中にある絵は、ほぼすべてが模写でレプリカです。ごく一部には本物がありますが。原画は年4回、二条城障壁画を展示収蔵館で公開していますから、そのときに観ていただけます。1972(昭和47)年から原画に忠実に再現する作業を始めていて、それが終わるのはまだ20年はかかると考えており、また修理についても、修理計画を立てて進めていますが、それによると完成は20年は先のことです。

文化財の修理を長く手掛ける後藤さん。国宝であり世界文化遺産でもある二条城に対する特別な思いはあるのだろうか。

展示内容にさらなる工夫を

崔:長く文化財の修理をされているそうですが、私たちから見ると、特別なお仕事のように思えます。二条城での文化財修理には、何か特別な魅力がありますか。

後藤:二条城に来る前は、全国のお寺や神社、民家などを担当しましたが、文化財の修理はどれでも同じです。二条城の場合、国宝ですから、十分に注意をすることはありますが、心構えは一緒です。そうは言っても、自分の好みもありますけど。それでも担当した以上、まずその文化財のいいところを自分なりにきちんと見極めて好きになることですね。いい仕事を残すためには大切なことですからね。

崔:今後、こうしたいということはありますか。

後藤:いま大広間に、対面儀礼として人形を置いているのですが、本来は床の間の掛け軸とかの調度品も置かなくてはいけないんですね。

崔:再現するのであれば、忠実に再現しなくてはいけないということですね。

後藤:はい。ところが、調度品は一切残っていなくて、記録も残っていない。知恩院にあれば参考になると思って、聞いたのですが、知恩院にも残っていませんでした。もし残っていたら、レプリカが作れて面白いなと思っていたのですが残念です。「将軍との対面では、こういう花瓶を使って」というふうに説明できるように、歴史考証をしっかりして再現したいとは思っています。

崔:それでも今日伺ってみて、二条城はやっぱり本当にきれいでした。お庭も素晴らしかったです。ありがとうございました!

(佛大通信2018年8月号より)

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