通信教育クロストーク

2017年12月12日
学習体験記 人文学科卒業生(T.Tさん)

文学部 人文学科 浄土・仏教コース 卒業生

イ.はじめに、及び学習の経緯

 3月で勤めも終わりなんだ、との思いにあった十数年前の2003年新春のある日、なにげなく捲めくっていた新聞に京都のある芸大の通信教育課程学生募集の広告が目に入った。内心に何かが反応した瞬間です。京都か、芸術を芸大で勉強できる、と。やがて我が身は、北白川の京都造形芸術大学(以下、造形大)の教室で、またテキスト科目の課題レポート作成を通じて、古今東西に亘る人間の営みである芸術諸般に心を傾けていました。
 月日とともに度重なって京都駅前正面のバス乗場に来ると、京都に戻ってきた、との感慨がその日の受講への心をリセットしてくれましたが、生涯学習となった、佛教大学(以下、本学)での学びの日々でも繰り返されています。京都駅頭のバス待ちが、学び心(ごころ)再点火への原点を都度覚醒させてくれる、まさに「京都へ戻ってきた」なのです。
 造形大での日本美術史受講に、仏像を彫らしめた仏教の教義そのものと、もっと取り組まねば、と痛感させられ、京都には佛教大学がある、を心に留めました。造形大・芸術学部芸術学コースを2006年5回生卒業(卒業論文―以下、卒論―は「ミケランジェロのピエタ像の聖母とキリストの造形的一体化への軌跡」)のあと、同年4月に本学の文学部人文学科仏教芸術コースに入りました。4年後の2010年6回生卒業(卒論「《道成寺縁起》にみる仏教功徳―神仏習合思想の一視覚―」)、続けて文学部人文学科浄土・仏教コースに入り、我が国での浄土宗教義を軸に仏教の学びを重ねました。修学年限8回生で昨2016年度春卒業(卒論は「解脱房貞慶における浄土信仰―法然との接点及び社会状勢において」)しましたが、教義の哲理の内で現実の信仰?透がどのようであったか。例えば、信仰の教化の場における啓発と実現の実態への関心に、引き続き拘りたく、その2016年4月仏教学部仏教学科浄土・仏教コースに入学した、本学三度びの新入生です。

ロ.本稿作成に即しての体験、所感など

 日常的なテキスト科目課題及びスクーリングでの学習の先に、学習成果の集大成とも言うべく卒業論文の作成が義務付けられます。イ.に摘記した既往卒論それぞれが所要学習を通じて教えられ、学んだ成果ですが、そこへの歩み、即ちテーマ(論文の仮説的主張)や素材の選択、そして論立てへの考察が日頃の私的関心に基づくことは、むしろ自然であったと思い返しております。
 以下、上記卒論3件について、私的関心が論述に、どのように反映し、かつ意味を主張したか、について摘記することにします。

 ロ―1、造形大卒論は、ミケランジェロのピエタ像造形の聖母とキリストの一体化を考えるものでしたが、就中ヴァチカン宮殿蔵の《ローマ・ピエタ》鑑賞を論述に反映させました。この二人像は、十字架降下のイエス・キリストを聖母マリアが膝上に抱(かか)え、前方に伸びる聖母の左手は、キリストの受難が贖罪の成就を示す。聖母の若さが批判され、作家自身が、処女性と永遠の清浄を神の御業の中に証したのだ、と弁明したが、確かに若さと整美が際立つ人像に彫ったのは、何故か。幼くして離れたミケランジェロ自身の実母への思いが深層心理に働いた、と私は推察しました。

 ロ―2、4年後の本学文学部人文学科仏教芸術コースでの卒論は、日高川での女人化蛇と、その絵画様式に惹かれていった《道成寺縁起絵》に、いつしか決めていました。 
 梗概は、「熊野参詣の美僧に懸想した宿の女が、還向時再会の約を僧が破ったことに怒って追い、日高川を蛇に化して渉り、逃げ込み隠れた道成寺の鐘もろとも口から吐く炎で焼き殺す。後日の寺僧の夢に現れた二蛇の姿の女と僧の願いの法華経書写供養で二人は蛇道を脱し、各々天に昇ったことを再びの夢で知る。」
 女の執念深さにも仏教は救いを用意したが、日高川で蛇に化なる、が私を捉えました。蛇は古伝承や記紀で神の遣いとされる一方で、『沙石集』は「瞋恚ホドノ苦ナシ。腹立チヌレバ身モ(燃)ヘコ(焦)ガル」と蛇に言わしめ、更に「妄執ニヨリテ女蛇ト成ル」は「凡そ一切の万物は一心の変ずるいはれ」と解されている。
 この縁起譚を見開く民衆は、日高川での化蛇に、衣を脱ぎ捨てる祓(はら)い、水で身を浄める禊(みそぎ)として、蛇の脱皮による復活、即ち新しい生命への再生の神秘性を、そして信州の山育ちの私もまた蛇は身近に遍在し、観るほどに神秘的な畏怖相に我が身の化身性を、透かし視ていたかも知れません。

ロ―3、6年後の文学部人文学科浄土・仏教コース卒業の卒論について。

 平安から鎌倉期の政治(院政開始、武家興隆)、経済(農業生産力争奪へ武力結着の領城支配)ともに激動した中で、浄土往生信仰、例えば法然浄土教が滲透、諸行作善による自力成仏への覚りではなく、仏本願成就による慈悲で誰もが仏土往生できる救いが説かれた。
 予て、諸行作善救済観を統治手段化した王法(院・貴族)・仏法(寺)相依関係は諸行供養の緩みを危惧し、法然浄土教を異端視、弾圧に及んだ。興福寺学侶出身の貞慶は『興福寺奏状』起草による法然『選択本願念仏集』論難の一方で、命終近く自ら「予深信西方」と述べ西方往生信仰を示唆した。その真実性を、貞慶個人の人間性への私の関心の内に探らんとしたのがこの卒業論文でした。

ハ.おわりに

 それぞれの卒論で論述に反映した私の個人的関心も、率直な民衆の現場たる「世上」への解釈剔抉に資する、と考えました。生涯学習とは言え、このような思いのままの学びの日々をご指導下さいました先生がた皆様には、ただ感謝の念あるのみです。

以上

~プロフィール~
2006年4月 佛教大学文学部人文学科仏教芸術コース3年次編入
2010年3月 同卒業
2010年4月 佛教大学文学部人文学科浄土・仏教コース3年次編入
2016年3月 同卒業
2016年4月 佛教大学仏教学部仏教学科浄土・仏教コース3年次編入、在学中

(佛大通信2017年10月号より)

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