通信教育クロストーク

2016年12月01日
荘子

「学部長の手帖から」
文学部長 鵜飼 光昌(うかい みつあき)

 邱 永漢(きゅう えいかん)は、台湾・台南市に生まれた。のち東京大学経済学部を卒業し、日本の敗戦を機に台湾に帰った。おりしも二・二八事件が起こり、香港に逃れる。再び来日し、小説『香港』で直木賞を受賞した。『食は広州に在り』『金銭読本』などの多数の著書がある。
 日中双方のふところの中で育った著者が、事業を展開するうえで顕著に現われる、双方の文化の違いや気質の違いをあざやかに記した書に『中国人と日本人』(中央公論社、1993年)がある。
 この書は、「こんなにも違う中国人と日本人」「社会主義市場経済をばかにするな」「過去にこだわって未来を見誤るな」の三章からなる。二十数年も前に現在の中国の経済的発展を予言しているのはさすがである。
 中国人は立身出世を求めると同時に、それがだめになった時の保身処世の術をも大事にする。その代表が老荘の哲学、なかでも荘子である。「中国の三大思想家、孔子、荘子、韓非子の三人のうちで、荘子がもしかしたら最も頭脳明晰な、なおかつ最も有能な才人ではなかったか」と邱永漢はいう。
 荘子は徹底した厭世の書であって、金銭欲や名誉欲をせせら笑う。宰相になってもらえないだろうかという楚王からの使者が来たとき、荘子はこういって拒絶する。

 千金という額は大した額だし、宰相の位は尊いものだ。しかし君は、天を祭るときに犠牲にされる牛を見たことがないかね。何年も大事に養われて、ぬいとりのある美しい衣を着せられ、大廟のうちに引き入れられる。その時になって、ただの豚であったほうがよかったと思ってももう遅い。わたしを汚すようなまねはせず、とっとと帰ってほしい。わたしはむしろ、どぶの中で気もちよく生きているほうがよいよ。
(『史記』荘周列伝)

 権力にすり寄り、為政者の顔色をうかがい、ときに命の危険をも犯して汲々と生きるよりも、みぞの中で遊ぶ亀のように自由な生き方をするほうがよいといっているのである。
 『史記』の孔子の伝記は長大なものであるけれども、荘子についての伝記的記述はたった一行しかない。そこからわかるのは、梁の恵王・斉の宣王の時代に蒙のうるし畑の役人であったということだけである。それも荘子が徹底して権力から遠ざかった結果に相違ない。書くことがないように生きたのである。
 またあるとき、荘子は蝶になってひらひらと飛んでる夢をみて、目がさめた。蝶になるとはなんと変な夢だろうと思うのが普通であろうが、荘子はひょっとすると本来自分は蝶で、蝶の夢の中でこうして人間になっているのかもしれないと考える。ものの変化を固定した観念でとらえることをしないのである。荘子は不思議な人である。

(佛大通信2016年11月号より)

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