社会人が小学校の先生を目指すにあたり知っておきたい基礎知識
社会人になって改めて、小学…
佛教大学シンポジウムが、2017年1月28日、大阪市中央公会堂にて開催されました。第1部の基調講演では、マスコミでもおなじみの明治大学文学部・齋藤孝教授に、予測が難しい、混とんとした現代に生きていくために必要な力について講演していただきました。
シンポジウム「教育と未来」生きる力を未来へ託せるか
基調講演 ~未来に必要な知恵とは~
齋藤 孝 氏(明治大学文学部教授)
少し辛い、成功体験を
私は大学で教員を養成しています。その中で感じているのは、現代は意識がはっきりしていく時代だということ。昔とちがい、朦朧としていては置いていかれてしまう。頭をシャープに、そしてそれを支えるためにメンタル的タフネスであること。これをどう体得させるかが、教育のテーマだと思っています。
今の大学生は“ゆとり”と言われ、深く傷ついてきた世代です。自分が受けてきた教育を失敗と文科省に言われ、自信を持つことができないこの世代は、メンタル的タフネスを獲得しづらい。それを超えるため「少し大変」、「少し辛い」経験をさせて、「私はできる」と思わせて自信を持たせる。成功体験を連続・加速させていくことが、精神的な強さにつながると思います。
小学生200人ぐらいを集めて、夏目漱石の『坊ちゃん』を速読することがあります。スピード感を持って流れ良く、私が「親譲りの無鉄砲で」と発し、続けて子どもたちに反復させます。それをほんの6時間程度(笑)。けれども、その6時間が終わった後は疲れが吹っ飛んで大歓声です。「『坊ちゃん』面白すぎ!」「はなはだ面白かった」「すこぶる愉快」などと言うようになります。これは子どもたちが夏目漱石の語彙をモノにしたのです。そこが面白い! 未来に必要なのは、そんなメンタル的タフネスとコミュニティ習得。反応する、リアクション力でもあります。
文脈力も必要な力です。仕事ができる人は、文脈力とスピード感を持っている。文脈力がない人は見当違いのことを言いますから、自ずと集団から外されます。スピード感が大事なのは、それ自体がサービスだから。携帯電話、ウォシュレットなど、快適な文明から後戻りすることはできませんから、すべての職業の人が高サービス社会に応えねばなりません。これはプレッシャーとなり疲れますが、頭の回転が速いと疲れずに対応できるのです。逆に、頭の回転が遅い、メンタルが弱いと、社会の中で仕事をすること自体に疲れて埋もれていく。仕事に就けない、家族が形成できない、孤立…。これを避けるのも教育の力です。
「すごすぎる!」と叫ぶために
たとえば「第二次世界大戦でなぜドイツは負けたのか」「ナチスドイツが台頭した経緯」について1時間かけて考え、意見を言うように課した場合。充実した1時間になるでしょうか? なりません。なぜなら、知識がなくては考えられないからです。
日本の伝統的な教育では、教科書などの知識を吸収して再生できる能力を鍛えてきました。記憶は学習において最も大事なもの。経済の問題を、経済の知識ゼロでは解決できないのと同じことです。iPS細胞の問題を解決するのに、知識ゼロってもう危ないでしょう? 医学部の勉強は、95%以上が記憶、暗記です。なぜなら暗記していないと対処できないから。絶対的な知識を馬鹿にしては、教育は成り立ちません。
一方で、教科書には書いてないけれども、アイデアや発想力、あるいはチームで考えて解決する力も必要です。そこでディスカッションも含めて解決しようとするのが、問題解決型の新しい学力、アクティブラーニングです。2020年前後を境に学習指導要領が変わり、より新しい学力の方向に進みますが、伝統的学力も大事。二兎を追うことが求められています。
たとえば、かつてはほとんどの高校生が物理を履修しましたが、現在はなんと2割を切っています。人類が獲得した英知の中で最も素晴らしい物理学を、8割以上が履修することが日本の高校のすばらしさでしたが、選択の自由という名の下に選ばない者が多数になりました。これで科学立国と言えるでしょうか。
強制しなければ、難しい学問から逃げるのは当然。だから、ある種の強制力で勉強させるのが学校。強制してでも身につける価値があるからです。それが文化知識。物理学、歴史学、英語といった価値のある文化財を強制してでも身につけさせる場所が学校です。強制しないで、子どもが主体的にやる気を出すのを待つ?いつ物理をやりたい芽なんて出るんでしょう。
F=maはニュートン力学の運動方程式です。質量×加速度。Fが荷重で、mが質量、aが加速度。モテる女性を誘おうとすると、すごく力がいると例えましょうか。この方程式がすごいとわかると皆さん「F=ma!」と叫びます。化学の周期表も同じ。あれを見て感動できないのだったら、この世に感動できることなんてないと言って良いぐらいだし、「すごい、すごすぎる」と叫ばない方がおかしい。問題なのは、すごいことを学んでいるのに「すごい」と思えない点。教科書は切り詰めて書かれているので限界があります。教科書が冷凍食品なら、それを解凍して最高の料理にしてみせるのが、先生の役割ではないでしょうか。
アウトプットを前提に
意識の量を増やす、あちこちに気づく力も大事です。例えば、新幹線の車内販売。同じ商品なのに売上げが異なるのは、意識の量が違うからです。意識の量が多い方は、コーヒーが飲みたい人の声にならない声に気づく。意識の量が少ない人は、声を出しているのに行ってしまう。同じ時給なら、さぼった方が良いと考える人間が増えたら、この国は沈んでしまいます。
物事はなんでも2万回やるとひとつの技が仕上がると言われています。なかには2万回やらなくてもできるようになるものもあります。例えば自転車。「10年乗ってないけど、自転車乗れるかなぁ」、って人はいませんよね。あれは技。才能とは関係ない。一旦身につけば生涯の財産になります。日本語が読み書きできるのは技です。ただし、日本語が話せるのと、きちんとした論文や本が書けるかはまた別の問題です。
日本語を話す場合でも、テキパキと要点をつかんだ話し方ができない方がいらっしゃいます。普通の雑談はできても、壇上で「今の日本の教育の課題」について3分で話をすると仮定します。その時に「あのー」「えーっと」みたいなことをやっているとすぐ3分過ぎて、何語に訳しても中身のない話になってしまいます。コミュニケーション上の共通言語があるとするなら、それは意味。意味のない日本語は何語にも訳せません。真の国際化とは、意味のある言葉を明確に話すこと。その能力はプレゼンテーションなどの発表能力で鍛えられます。例えば、ひとつの新聞記事を15秒で要約する。この練習をひたすら繰り返すとテキパキ話せるようになります。優先順位が高い内容から話す癖がつくわけです。
アウトプットしなければ、実力はわかりません。説明できないのは記憶が定着していない証拠ですから、学校ではアウトプットを前提にしたインプットを行ないます。そこで初めて、インプット=聞くという作業に真剣になる。知識の膨大な遺産を的確に自分のモノにすることで自身が豊かになる。これが教育です。
段取りを組む力も大事です。例えば、理科の実験でも、数学を解くのも、物事のあらすじも、料理も段取りですね。その段取りを把握するのが仕事力。どちらもこれからの学力として非常に重要です。学ぶ力があって段取り力があって、コメント力、質問力があれば、大体社会で生きていけます。
伝統と革新、精神と心
精神力の強い弱いは、生まれつきだけじゃなくて文化にも左右されます。例えば武士。切腹と命じられたら、昔はしました。これは気質ではなく文化。武士の中にも、臆病な人、気の小さい人、いろんな気質の人がいた。けれども、武士に生まれてその文化の中で育ったらやる時はやる。それが文化の力です。
心と精神は似ていますが、心は天気のように移り変わる、個人的なものです。ところが精神は移り変わるものではありません。「昨日までは武士道がわかってたのですが、今日はわからない」とはなりません。その安定感あるモノを自分の中に技として身につけた人の精神は強くなる。大阪に生まれた人は『大阪人』という精神文化がある。だからメンタルが強い(笑)。
無茶ぶりとか理不尽に耐えることも大事です。「わかりません」とか「できません」は一生言わない。何とかする。私、この前『脱力タイムス』というTV番組で用意されていたピコ太郎さんの衣装を着ました。来た球は打たなければなりません。これが未来に必要な知恵。来た球は打つ、ピコ太郎さんの衣装は着る(笑)。
昨今は不透明な時代と言われますが、日本が最も不透明だったのは幕末・明治維新です。その時、明治維新を成功させたのは、江戸時代に教育を受けた人たちでした。戦後の不透明な時代を乗り越えたのは、戦前の教育を受けた人たち。つまり、不透明な時代を生きる学力は、意外にも伝統的な学力だったのです。
最後に『論語』を3秒で要約します。知性の知、優しさの仁、勇気の勇で、「知仁勇」。これがあれば大丈夫!です。
齋藤 孝 氏
1960年静岡生まれ。東京大学法学部卒業。同大学院教育学研究科学校教育学専攻博士満期退学。明治大学文学部専任講師・助教授を経て現職。『声に出して読みたい日本語』がベストセラーになり日本語ブームをつくった。TBSテレビ系「情報7daysニュースキャスター」等テレビ出演多数。NHK Eテレ「にほんごであそぼ」総合指導。著書累計出版部数は1000万部を超える。近著に『新しい学力』(岩波新書)。
(佛大通信2017年6月号より)