通信教育クロストーク

2017年03月25日
まど・みちおさんと「アリくん」の詩

「学部長の手帖から」
社会福祉学部長 渡邉 保博(わたなべ やすひろ)

 私は、まど・みちおさんの詩が好きである。デンデンムシのことを「ミスター・フルスピード・ノロ」さんと呼んだり、けむしのことは「さんぱつは きらい」さんと呼ぶ楽しい人である。そのまどさんの「アリくん」という詩が好きである。

   アリくん アリくん きみは だれ    にんげんの ぼくは さぶろうだけど
   アリくん アリくん きみは だれ
   アリくん アリくん ここは どこ    にんげんで いえば にっぽんだけど
   アリくん アリくん ここは どこ

 まどさんは、小さい子どもの1枚の絵からこの詩を書いたそうだ。虫が書かれてはいるが何の虫か。身近なアリかゴキブリか? どちらとも決められなくて「虫」ということにした。そして最初に作ったのは、この詩の後半で、「むしくん むしくん ここは どこ……」という詩だった。あとで、「アリくんの歌にして(前半の)歌詞をつけたした」(阪田寛夫『まどさんのうた』童話屋.2008.130-131)という。

 あるインタビューで、この詩を書いた時、「アリたち一匹一匹に名前を聞いて、教えてもらった名前でそれぞれ呼んでやることができたら楽しいだろうな」(まど・みちお『いわずにおれない』集英社.20 0 9.40-45)という気持ちもあったという。ところで、アリという名前自体は「人間が勝手につけたもの」。われわれの社会生活では名前がないと困るけれど、「名前で呼ぶことと、そのものの本質を感じることは別」ではないかと言う。確かに、アリは自分がアリであるとは思っていないだろう。

 いろいろな人がこの詩を好きだ。まどさんを「物理学者」の目を持つ詩人と呼ぶ佐治晴夫さんも、その1人である。佐治さんは、「ここでは、人間というものの側からだけアリをみて、おまえはアリだと言っている(が)アリにはアリの世界があることを忘れている」と言っているのではないか。また、アリにとって、ここが日本だろうとアメリカだろうと関係ない。アリくん=「きみ」にとっての世界があるのだから、人間とアリくんとは、「それぞれの世界の中で共存、共生をしていく智慧を持たなければいけない」(中村桂子ほか『まど・みちおのこころ』佼成出版社.2002.104-115)。そう、まどさんの詩を読み解いている。

 まどさんも、先のインタビューで、「すべての生きものを人間と同じように見るっちゅうことは、危ういことでもある」「アリにはアリの社会生活があるわけだけど、私たちとは感じ方や考え方が違うかもわからん」のだと言う。まどさんの詩は、そのアリくんの側から、あるいは、「みちばたで……そよかぜの あかちゃんとあそんでいる」シバのハナたち、雨の日の玄関で「したしげな顔」で家人の帰りを待つぞうきん、「はたらきとおして こんなに小さくなった」せっけんの側から世界を見、言葉を交わしていこうとする試みのようである。以下の「さくら」という詩もそうである。

   さくらの つぼみが ふくらんできた  と おもっているうちに
   もう まんかいに なっている
   きれいだなあ きれいだなあ  と おもっているうちに
   もう ちりつくしてしまう
   まいねんの ことだけれど  また おもう
   いちどでも いい  ほめてあげられたらなあ…と
   さくらの ことばで  さくらに そのまんかいを…

 毎年私たちを喜ばせてくれる桜に、「人間の言葉ではなく桜に通じる表現でお礼がいえたらな」と願うまどさんである。「こんなにやさしいことばで、こんなに少ない言葉で、こんなに深いことを書く」(谷川俊太郎)まどさんに憧れている。

(佛大通信2017年3月号より)

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