通信教育クロストーク

2016年08月23日
金沢の原風景

「学部長の手帖から」
社会学部長 近藤 敏夫(こんどう としお)

 金沢の街並みには生活の奥深さがある。これは加賀藩が京都の隠居先だったことに起因する。京の文化が一般庶民に広まって金沢の街はつくられた。平成の現在でも近世の伝統を強調して加賀百万石の街並みが着々と建設されている。

 全国何でもランキングで金沢を調べてみると、お菓子や芸事が好きで、学生が多いという特徴がみられる。落ち着いた街であるが、華やかで遊び心もある。

 その1。金沢は食にこだわる。一人当たりの消費額でみると、寿司が全国1位、お酒が全国2位、割烹や料亭、レストランが多く外食費が高い。お菓子では和生菓子、チョコレート、アイスクリームが全国1位。喫茶店も多くコーヒーが全国1位。調味料は全国2位で、醤油と塩にこだわっている。とにかくお店がたくさんある。

 わたしは金沢近郊の農村部に生まれた。子供のころは母に連れられて金沢にでかけた。母の友人に会いにいったり、お盆には親戚が集まって「金沢のおばちゃん」の墓参りにいったりした。路面電車(大正8年(1919)~昭和42年(1967))でお決まりのコースを訪ね、デパートの屋上で遊び、美味しいお菓子を食べ、いつものお店で押寿司を土産に買う。少しだけ贅沢でおしゃれな街、これが金沢の原風景だ。

 その2。金沢は芸にこだわる。楽器購入額が全国1位。日展入選率が全国1位。お茶、お花、お琴が盛ん。プロは多くないが、庶民が芸を嗜んでいる。能楽は職人さんが謡も舞もする。市民が薪能に集う。農村部でも御呼ばれの席では謡が定番だった。残念ながらわたしの同級生で謡ができる者はいない。父の世代は興に乗ると誰とはいわず謡を始め、掛け合いと地謡が加わった。

 戦前生まれの世代は大変な苦労をしてきたはずだが、ここぞというときの一張羅を揃え、玄人はだしの芸を身につけていた。庶民が遊び心を大切にしてきたところが金沢の奥深さだろう。「空から謡が降ってくる」…植木屋さんの謡が街並みに溶け込む風情が金沢にはあった。

 その3。金沢は大学の街でもある。学生数は人口比でみると京都に次いで2位である。わたしは移転前の金沢大学で学んだ。大学が金沢城址にあり、お城からどこにでも行くことができた。兼六園はお城の庭だったし、近江町市場や武家屋敷、東茶屋街や繁華街など、すべてお城を中心に広がっている。学生は講義の合間にお城から降りて映画を1本観ることができた。夕方前に近江町市場に行けば、おさしみ用の鮮魚が分けてもらえた。夜の繁華街には学生がたむろした。真夜中の路地を思い出すと“煙が目にしみる”。

 わたしは平成になってから金沢大学に助手として戻ったが、大学は丘陵地に移転し、城内も城外も「城下町」として観光地化されていた。その勢いは加速し、焼失した金沢城の復元が今も進んでいる。城内に第七連隊や大学があった頃(明治、大正、昭和)の面影が金沢から消えていく。

(佛大通信2016年8月号より)

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