通信教育クロストーク

2018年06月02日
人を求めている町とそこで住みたい人のつながりを紡ぐ。

KYOTO TIME TRAVEL 伝統をつなぐ・未来をつくる・京都をめぐる

この頃、よく聞くようになった「移住計画」というフレーズ。実は「京都移住計画」がルーツで、全国へと広がってきた言葉だ。その仕掛け人である「京都移住計画」代表の田村篤史さんを訪ねて、今回は、西陣のビルの一部を改装したシェアオフィス「385PLACE」へ。公共政策学科の金澤誠一先生が話を伺った。

田村 篤史(たむら あつし)
京都移住計画代表、株式会社ツナグム代表取締役。1984年、京都府生まれ。立命館大学在学中、APU(立命館アジア太平洋大学)へ交換留学、NPO出資のカフェ経営に携わる。その後休学し京都のベンチャーにて経験を積み、卒業後は海外放浪の末、東京の人材系企業に就職。2012年に退職しUターン。起業して、京都移住計画を中心に活動する。著書に『京都移住計画』(コトコト)がある。

金澤 誠一(かねざわ せいいち)
社会学部公共政策学科教授。帝京平成短期大学教授などを経て、1999年より現職。現代の貧困からの脱却のための国民の「下から」の要求としての「最低生計費」の研究に取り組む。主な著書・論文に『「現代の貧困」とナショナルミニマム』(編著、高菅出版)、『福祉・保育現場の貧困』(共編著、明石書店)、『公的扶助論』(編著、高菅出版)、など多数。

大学を卒業後は、東京で人材関連の企業に勤務していた田村さん。京都にUターンして、京都へ移住を希望する人に寄り添う事業「京都移住計画」をはじめた理由は何だったのだろう。

「いつか」のために今できることをしよう

金澤:まず、京都への移住を希望する人に、それを実現できるような事業を自分たちではじめようと思ったきっかけを教えていただけますか。

田村:僕は、就職で東京へ行ったのですが、もともと5年ぐらいしたら京都に戻って来るつもりでした。東京で経験を積んで、京都に戻って何か仕事をしたいなと思っていたのです。東京では会社員をしながら、シェアハウスの運営もしていたのですが、そこには関西出身の同世代の人が多く集まっていました。社会人3年目の時、東日本大震災が起きて、キャリアデザインや転職のカウンセリングが本業だったこともあって、彼らに東京で住み続けたいのかどうかを聞いてみたのです。すると、「別に東京に一生住みたいわけではない」と言うのです。でも、一生住みたいわけではない街に、なぜか学生の頃からずっと住んでいるわけです。そこに違和感をもって、いつかはと言いながら、先延ばしにしていると実現しないこともあると思うので、いつかのために今できることをしませんかという提案をしようと思ったのです。みんなで移住のための準備をしたり、計画を立てようという呼びかけからはじまりました。最初は会社員をしながら、京都の企業や場所、人などの情報を提供するところからはじめました。

金澤:「京都移住計画」というのは会社名ですか。

田村:ちょっとややこしいのですが、事業名と捉えてくださればいいと思います。会社は「ツナグム」で、「つなぐ」と「産む」の造語です。僕の場合は、前職が人と企業をつなぐ仕事だったので、京都の中小企業とこちらに移り住んで来る人をコーディネートするような役割だったり、京都の企業に取材をして、京都にこんな面白い会社があるというのをウェブで伝えていったりしています。

金澤:私は京都移住と聞くと、市内のような街中よりは田舎のほうをイメージします。佛教大学でも美山町(南丹市)と地域提携協定を結んでいて、美山でもIターン、Uターンを受け入れていますから。

田村:「京都移住計画」も、発端は京都市内だったのですが、2014年からは京都府からのご相談があって府の事業にも関わらせていただくことになって、京都市以北は全自治体、南は和束町、宇治田原町、笠置町などへの定住促進も事業として今はやっています。もちろん、美山も対象エリアです。

「京都移住計画」では、京都にIターンやUターンで移住してきた人同士や、これから京都に移住したい人との交流の場「京都移住茶論」も開催している。

移住経験者と交流できる「京都移住茶論」

金澤:「京都移住茶論」とは、どんな主旨で開催されているのですか。

田村:これは京都市内における事業なのですが、移住検討組の方と、すでに移住してきた方が交流する場を不定期ですが市内で開催しています。2017年12月に31回目となりますが、今までの参加者は延べ500名から600名ぐらい。京都市内で300名ぐらいの移住してきた人たちとのつながりがあります。例えば一人で移住すると孤独になって、地域とのかかわりがどんどん薄れていくので、まずは人とのつながりが大事だと思っています。いきなり、京都の人と関わるのは難しい部分があるかもしれませんが、同じ境遇で移住している先輩に会える場があると、すごく心強いと思います。

金澤:それはいいですね。地域の中に先輩がいて、いろんなしきたりや細かいところまで相談できる人ができればいいなと思います。その地域に入っていった定住者の経験を聞くことは、重要ですよね。

田村:そうですね。相談者が空き家を探すフェーズまで来た場合は、移住の先輩も紹介しています。南丹市にテダスというNPO法人があるのですが、そこでは「集落の教科書」というのを作成していて、その地域にしかない独自ルールを読み物としてまとめているのですよ。地域ルールが事前に分かっている方が望ましいスタイルではあると思います。

金澤:そうですね。それから、実際に移住したときに相談できることも大事ですね。

田村:今では各市町村に、移住の相談の窓口が設けられているので、フォローアップしていただけるようになりましたけど、いない頃はたいへんでした。

現在、「移住計画」は全国に広がりを見せている。今後は、どんな発展をしていくのだろう。

民間主体で人と地域、人と企業をつなぐ

金澤:これから「京都移住計画」は、どのように発展していくのでしょうか。移住した人たちが、その地域でそれぞれの役割を担いながら、共に地域社会を作り上げていく社会的協働が必要だと私は思います。

田村:その話と少し重なりますが、京都市内では中小企業の後継者不足の問題があって、事業としては続けられるが継ぐ人がいないという理由で商売を畳んでいくところが増えています。今後は、さらに加速度的にそういうケースが増えるので、人と企業のつなぎ手になるようなことにチャレンジしたいと思っています。もう一つは、田舎の方も視野に入れて考えているのが、空き家の活用についてです。改修やセルフリノベーションができる人を増やすための講座を外部の事業者と連携してやっていきたいと思っています。移住希望者はいても、空き家がなくて移住が進まないケースが多いので、一つの手段として、進めていきたいところです。

金澤:空き家の活用には地域とのつながりが重要ですよね。過疎化が進んで行く中で、一方では移住したい人と、どういうふうにマッチングしていくのかが、これからの課題だと思います。京都市内の後継者の問題も深刻ですね。

田村:ここ「385PLACE」がまさしくそうで、西陣織の帯会社の自社ビルです。西陣織は業界的にも厳しい中、この4、5階の活用ができないかという案件を縁あっていただきました。リノベーションしてシェアオフィスやコワーキングスペースにして活用していきたいとのことで、今はパートナーとしてこのスペースの運営のお手伝いをさせていただいています。少し移住の話からは、ずれるのですが、僕らにはノウハウはあるけれども、リソースとしての物件を持っているわけではないので、古くからの資産を持つ企業と、若い人や他の地域から来た人がアイデアや知恵を掛け算して、今までになかったものを生んでいくことをやりたいなと思っています。それが事業として育っていけば雇用にもつながります。

金澤:古いものに新しい風を吹き込んで、将来を作っていくということですね。それは面白いですね。

田村:京都市の外の話では、僕らは2014年に「地方創生」という言葉が使われるようになる前から移住計画をやっていて、自治体と協働で行う場合もありますが、基本的には民間主体で行っています。今、その「○○移住計画」が全国17地域に増えてきているのです。その組織化を来年ぐらいに予定していて、財団にするのか、社団にするのか話し合っているところです。

金澤:全国的な展開へと、そんなふうに人や組織をつなげていくことも、大きな役割ですね。ぜひ、頑張ってやっていっていただきたいと思います。

(佛大通信2018年1月号より)

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