通信教育クロストーク

2016年02月17日
青山忠正研究室(歴史学科)

「研究室訪問」
歴史学部 歴史学科 教授  青山 忠正(あおやま ただまさ)


夢やロマンで脚色された時代の真実を膨大な史料の中から追究する

 私は長い日本の歴史の中でも明治維新期の政治史を研究しています。というと、面白い時代のテーマですね、と言われることが多いのですが、残念ながら、面白おかしいことは何もありません。そもそも、面白い、とおっしゃる場合、小説やドラマの人物像から、幕末のイメージを形作っている方がほとんどです。私は、ある意味では、そういった夢やロマンの世界とは縁遠いところで、皆さんが持たれるイメージが誰によって、どのように作られ、流布されているかを念頭に置いて、とにかく史料を延々と読む、という根気のいる作業を続けています。そこから見えてくる歴史学の課題となる、知的な歴史に目を向けているのです。

 通信課程で学ぶ方の中には、定年退職されてから「歴史が好きで、特に幕末が好きなのでその時代を知りたくて」という理由で学ばれることも多く、歴史小説やドラマで描かれた世界に憧れを持たれることも多々ありますが、おそらく私の研究とは全くイメージが異なるので、戸惑われることもあるでしょう。

 歴史の中で、幕末から明治維新は、一般的に人気のある時代なのですが、特に学界で重要とされているわけでもありません。その時代のシステムを知り、現代に変遷するに至る過程を精緻に追究することが私の学問なのです。

幕末から明治をテーマに現代に至る社会システムの変遷を明確にすること

 幕末から維新後までを中心に研究する上で、私にとって最も基本的な関心は、「近代」というパラダイム(枠組み)を、どう捉え直していくかという点にあります。この場合の「近代」とは、現在の私たちを取り巻く政治・経済・社会・文化のすべての生活領域に及ぶ規範であり、それから逃れて生きることが不可能な制約です。そうした意味での「近代」が、私たちの周りに、どのようにして成立し、どのような機能を発揮しているのか、またそれは歴史的に見て必然的な過程なのか、といった問いに対する回答を、私は自分の手で得ようとしているのです。

 したがって、私の関心は、当然に現代にも及びますが、今述べたような意味での「近代」の起点を、日本の場合、どこに求めるか、ということも念頭に置かざるを得ません。それを私は、今のところ19世紀に求めているのであり、さらに時期を絞って設定すれば1850~60年代になります。それが、いわゆる幕末である、ということになります。

 つまり、私が専門とする具体的テーマは、19世紀半ばの日本における国家意志を統合するシステムが、どのように形成されたのかを、欧米を基準としない、日本固有の「近代」化の観点から捉え直してゆくことなのです。

過去の研究に頼らず、客観的視点で、対象課題を研究することが大切

 幕末に限らず、またおそらくはすべての学問に共通することだと思いますが、物事の本質を捉える力を養うことが大切です。もっとも、そのためにはどうすればよいのか、と言われると困るのですが、狭い意味での勉強に限らず、すべての事柄に対して、真剣に自分の頭脳と精神に頼って対処することを積み重ねるほかはないでしょう。

 それでなくても「幕末」認識には、政治主義的権威によって色付けされた側面が強くあります。それは、私がテーマとする明治時代だけでなく、戦後の1950~60年代においても、戦前とは別の意味で、そうだったのですから「権威」ある書物をいくら読んでも、それだけではむしろ百害あって一利なしとさえ言えます。過去の研究を参考にすること自体はよいのですが、それに頼るのではなく、それを対象化する姿勢が必要だと私は考えます。

 私は幼少時よりたくさんの本を読みました。しかし、歴史の真実を研究する上では、たとえ、面白くなくてもその時代を読み取るための史料を読む努力が必要です。

 また、その時代に関する場所や史跡を訪ねるなどフィールドワークも大切です。幸いにも、本学が位置する京都の町は、明治維新に関連した史跡の宝庫。スクーリングの際にも、ぜひ、そうした環境を生かしてください。


経歴
1950年 東京都品川区生まれ
1983年 東北大学大学院文学研究科国史学専攻博士後期課程単位修得、博士(文学・東北大学)
1983年 東北大学助手
1986年 大阪商業大学専任講師
1997年 同助教授
1996年 佛教大学助教授
1999年 同教授
2010年 佛教大学歴史学部新設により同教授、現在に至る

(佛大通信2016年2月号より)

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