通信教育クロストーク

2015年12月12日
宇宙からの目と人の目

「学部長の手帖から」
歴史学部長 渡邊 秀一(わたなべ ひでかず)

 「スマホで使っているGoogleの地図アプリが、矢印がついてずいぶんわかりやすくなりました。方向音痴の私には便利で、大変助かっています。」つい最近、こんな話を学生から聞いた。なるほど、駅やバス停などで目的地までのルートを画面上で確認し、進むべき方向を定めようとしている人、あるいは画面で確認しながら歩いている人をよく見かける。Googleのアプリを使うことができれば、印刷された地図を持ち歩く必要はなく、見知らぬ場所で東西南北がわからなくても目的地にたどり着ける、それは地図が苦手だという人はもちろんのこと、そうでない人にとっても便利なことに違いない。

 しかし、見知らぬ場所でスマートフォンを使って地図を必死で見ている様子は、まるで地図(海図)をもたず大海に漕ぎ出し、行くべき方向を必死で見定めようと四苦八苦している小舟のようである。陸地が見えない海の上で方向を定める手がかりは太陽とその他の星の位置、そしてその動きである。小舟に乗った人たちの関心は空高いところにあるため、空を見続けることになる。一方、街の中を小舟のように漂う人たちは、手に持ったスマートフォンの地図が唯一の頼りである。したがって、その視線は自然と下向きになる。視線を上げることがあっても、ルートを確認するためのランドマークを捜し出そうと視線は落ち着かない。

 古代・中世の日本で日常的な利用のために地図が作成された記録は今のところ確認されていない。また、日常的空間を写した地図もごくわずかな例が知られているだけである。日本で誰もが地図を利用できる環境が整ったのは江戸時代のことである。庶民が使う江戸時代の地図には方位や距離が正確であることが必要だなどという考えはない。とにかくこの道を行けば目的地にたどり着ける、といった地図の作り方である。それは人間の身体を中心において人間の目線を重要視した地図作りだったといってよい。

 遠い宇宙空間の一点に視点を置いて地球を見下ろし、冷徹なまでに科学的な正確さを追及する地図作りが始まったのは近代に入ってからのことである。Googleの地図アプリで我々の身体(手にもつスマホ)の方向の変化に反応して地図上の矢印の方向も変わるというのは、GPS機能を利用したものであろう。宇宙空間にある衛星が我々を追いかけている。それは確かに科学技術の進歩がもたらしたものである。しかし、近代における地図作成の思想を受け継ぎつつ最新の科学的技術を集めて作られた現代の地図アプリが、江戸時代と何も変わらない使い方になっているというのは、なんと皮肉なことだろう。最新の地図アプリは、「技術は進歩しても、人間は進歩しない」、と我々にささやいているようでもある。

(佛大通信2015年12月号より)

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