通信教育クロストーク

2019年03月01日
400年・14代に渡り京の伝統野菜を守り続けて。

KYOTO TIME TRAVEL
伝統をつなぐ・未来をつくる・京都をめぐる

佛教大学から千本通を北へ。光悦寺までの一帯は、鷹峯と呼ばれるのどかな地区である。この地で京野菜の伝統を守り続けているのが、樋口農園。14代目の樋口昌孝さんを訪ねて教育学科の堀家由妃代先生が畑に伺った。

樋口農園
400年前から代々農業を営み、現在は14代目の樋口昌孝さんが受け継ぐ。樋口農園のある鷹峯は丘陵地帯で、水はけがよいため野菜作りに適していて、粒子の細かい粘土質の赤土も肥料の吸収を助ける。樋口農園で作られる野菜は一般市場にはほとんど出回らず、料理店で使われるか、「京野菜時待ち食」の直売所のほか、一部の生協で販売されるのみ。5年前ぐらいまでは「振り売り」といって、大八車を押して直接販売していた。現在は、亀岡や桂、大原にも畑を持ち、それぞれの気候風土に合った野菜づくりに励んでいる。

樋口 昌孝(ひぐち まさたか)
鷹峯地区で400年続く農家の14代目として生まれる。京都の伝統野菜である聖護院大根、鷹峯とうがらし、鷹峯ねぎ、鹿ケ谷かぼちゃなどの種を守りその栽培方法を受け継ぎ、本物の京野菜を守る。食育にも情熱を注ぎ、「食育は畑から」と農業体験に近隣の小学生を受け入れている。2015年、第1回京都和食文化賞を受賞。

堀家 由妃代(ほりけ ゆきよ)
教育学部教育学科准教授。大阪教育大学教育学部卒業、東京大学大学院教育学研究科修士課程修了(教育学)、東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。甲子園大学総合教育研究機構 専任講師を経て現職。研究テーマは、知的障害者の後期中等教育に関する研究、国内外の特別ニーズ教育に関する研究、発達障害児のコミュニケーションに関する研究。

 畑を農業体験の場として、食育にも力を入れる樋口さん。堀家先生が児童館で子どもたちに食事を提供する活動にも協力している。

畑では「玩具もゲーム機もいらん!」

堀家:佛教大学の前に楽只児童館があって、イベントのときには野菜をいただきました。

樋口:今年もやるの? 気を使わんといてな。僕は小さい頃から楽只のそろばん塾に行っていたから、なじみもあるし、ああやって楽只の子どもたちが来てくれるのもうれしいから。

堀家:せっかく近くにこんないい農園があるのだから、たとえカレーのじゃがいも1個でも地元のものを食べてもらってほしいと思ったのがきっかけで始めたことです。

樋口:僕は、かかわっていくで。野菜も提供するし。僕の食育の理想は、昨年9月にイタリアンの料理人とはじめたんやけど、親子で来てもらって、大根の種を蒔いたり、白菜を定植したり、小カブやネギを植えてもらって、とにかく生長を見てもらうこと。1週間経ったら芽が出たなとか、大きくなったなということを子どもに見せて感じさせてくださいと言っています。小学校は3年生で野菜の勉強をする授業があるから、楽只小学校、鷹峯小学校はずっと来てくれているし、去年からは立命館小学校、また3 年ぶりに紫明小学校が来てくれました。

堀家:人間は本来、自然と共生してきたのですからね。自然とうまく付き合う方法は、樋口さんがよく知っていると思います。

樋口:子どもが来ると面白いことがいっぱいあって、親もいっぱい感じることがあって。子どもを連れて来てくれる親は、「泥ん子になればいいやん」っていう親ばっかりなんですよ。芋掘りが終わって遊び回っている子がいたから、「あの子、気をつけて見ておいて」って言ってたら、ほんまにチャポンって水路に落ちて。パッと起き上がって笑っていたけど、いつも「着替えは持って来てや」って、言うてんねん。

堀家:ははは。

樋口:いつの間にか、知らない子同士でグループができて、その中で隊長ができていたり。もっと面白いと感じたのは、僕らが子どもの頃、水路に落ち葉を浮かべて、「よーい、ドン!」って走って「僕が1等や!」って競争したもんやけど、それをやっとんねん。堀家:へぇ、教えなくてもね。

樋口:自然にやねん。ほんで「玩具もゲーム機もいらんな」って言うてる。それから、小さなカエルをつかんでいる子がいたら、「虫が嫌いや」って言うてた子までがカエルを触っている。周りがやるから、いつの間にかやね。だから、畑での食育は絶対に続けなあかんと思っている。楽只小学校の子たちが来たときは、赤とうがらしを持って帰ってもらったんやけど、先生も食べてもみる?

堀家:わぁ、やったー!! わっ、身が厚い!(噛んでみて)、え、甘い!これはフルーツ?

樋口:やっぱり子どもには、こういうのを食べさせなあかんねん。だから、性根入れてやらなあかんなって思っている。最初は15年前ぐらい。幼稚園の年長さんで、なすびを食べられへん子がおって、うちに来たんやけど、なすびやトマトを採って幼稚園に帰って、先生がマーボーなすにして食べさせたんやて。それで、好きなもんを持って帰って家で食べましょうと言ったとき、その子がなすびを持って帰ったって。それからやな、子どもを畑に入れなあかんって思うようになったんは。

掘家:そうなんですね。

そもそも京都の伝統的な野菜が、この鷹峯の地で残ってきた理由は何なのだろう。

各地からの献上品がこの地に根付く

堀家:鷹峯で伝統的な野菜が残ってきたのは、なぜなんでしょう。

樋口:この辺は丘陵地帯で、水はけがよくて、湿害にも遭わなかったから。野菜は水に弱いんやね。聖護院や修学院が野菜の産地というのも、同じ理由。今の京野菜は、よそから献上品が来たら、殿様にこれを作れと命じられて、それがいつの間にか京都で根付いたもの。たとえば、賀茂なすも、似たようなのは山形にもあれば、新潟の越後湯沢にもあるし。それらが献上品だったんだろうと思っています。

堀家:そうなんですね。

樋口:亀岡や大原にも畑があるけど、亀岡は霧が出るぐらい湿気があるので、ネギはあかんけど、その代わりに馬路の小豆ができる。大原も、あれだけ色鮮やかな赤紫蘇ができるのは、夜はじとーっとして、常に空気中に水分が含まれているから。いい赤紫蘇ができて、冬は雪で野菜がない、夏にきゅうりやなすがようけ獲れたから、塩漬けして赤紫蘇と漬けておいたら柴漬けができましたということで、あれは昔ながらの知恵やね。

堀家:それが、いまや京の三大漬物の一つに。

樋口:そうそう。文化って、すべて気候と風土から生まれた知恵なんやね。

鷹峯とうがらしは、樋口農園だけで作られる甘く、旨みのあるとうがらし。あと10年ぐらい経てば、間違いなく100年以上作られていることになり、伝統野菜の仲間入りである。

野菜を作るんやない、土を作るんや

樋口:うちの親父のモットーは、畑は深く耕すということ。次に、土づくりだけをきちんとしておけば、野菜は雨が降って、太陽があったら育つと言っていました。それはビニールハウスじゃない頃の話だけど、「野菜を作るんやない、土を作るんや」と。僕も、野菜がすくすく育つには、土を作るんやと思っています。

堀家:それは、教育も同じ。土壌が大事ということですね。鷹峯とうがらしは、どうやって守ってきたんですか。

樋口:種を採るのも、いい形のものを選ぶ。これは見て覚えるしかなくて、昔はハウス栽培じゃなかったから、親父がいつも種を採るとうがらしを家にぶら下げていて、その中から種を取り出すのは子どもの仕事だったから、自然と覚えたものです。家族が一緒に住んでいたからこそやね。

堀家:お父さんの代からは、変わったこともあるんですか。

樋口:今、ハウスが建っている畑は、もともと

傾斜地。それを僕が大学を出たぐらいのときに、これからはトラクターの時代で、水やりも自動でする時代やから平坦にしてほしいと言ったら、親父に「アホか」って怒られたんやけど(笑)。友達が建設業やったから、平地にするにはどれぐらい費用がかかるか聞いて、親父を説得して今のようにしてもらえた。それで、仕事が楽になったし、大型のハウスも建てられるようになって。

堀家:お母さんは振り売りをされていたんですね。

樋口:そう、5年前ぐらいまで。だから楽只小学校の子でも、「うちのお母さんが昔、おばあさんの野菜を食べていたと言っていたよ」と言ってくれる子がいるな。

堀家:この前の坂を人力で登ったり降りたりは、たいへんだったでしょうね。

樋口:子どもの頃は、迎えに行って大八車を一緒にひもで引っ張ってたんやで。かっこ悪かったわ(笑)。自動車の時代になってからは、親父が迎えに行くようになったけど。だんだんマンションが増えてきて、売りに行っても「買いたいときは自分で買いに行きます」という時代になったから、北大路に直売所を作ったんです。好きなときに買いに来てもらえるように。甲斐性さえあれば、自分で建物を買って、1階は直売所、2階は1週間に1度ぐらい料理教室をするのが理想やけど。

堀家:それはいいですね。今日は畑の野菜を色々食べさせてもらって、野菜は土づくりが大事、子どもも同じようにそれぞれのポテンシャルを引き出せる土壌が大事、ということに確信が持てました。ありがとうございました。

(佛大通信2019年1月号より)

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