佛教大学通信教育課程

通信教育クロストーク

2018年07月22日
遊ぶだけでなく意匠も楽しい日本の伝統かるた

KYOTO TIME TRAVEL
伝統をつなぐ・未来をつくる・京都をめぐる

京都伏見桃山の両替町の一角。
赤い天狗の看板が目印の大石天狗堂は、小倉百人一首に代表される、かるたの老舗である。
今回は、子どもの頃にはお正月に家族で花札を楽しんだという歴史学科の塚本栄美子先生が大石天狗堂を訪ねた。

前田 直樹(まえだ なおき)
株式会社大石天狗堂代表取締役。
大石天狗堂の9代目。かるた、百人一首、将棋など生涯遊べる伝統的な日本の遊び道具を販売している。また、未来にも、その伝統を残していくために、それまで培ってきた紙加工技術を生かし、作家とのコラボレーションなどのオリジナルかるた制作も展開している。

塚本 栄美子(つかもと えみこ)
歴史学部歴史学科 准教授。
大阪大学大学院博士後期課程単位取得満期退学。日本学術振興会特別研究員、大阪大学文学部助手、岐阜聖徳学園大学専任講師・准教授を経て、2011年より現職。専門分野はドイツ近世史、宗教改革史。「近世ベルリンにおける「フランス人」の記憶-第一世代シャルル・アンションの歴史書-」(『佛教大学歴史学部論集』創刊号、2011年)などの論文多数。

大石天狗堂の店主である前田直樹さんは、実に9 代目。店の長い歴史の中で、かるた作りは、どのような変遷をたどってきたのだろう。

時代の移り変わりともに花札から百人一首へ

塚本:私自身は大学で西洋史を担当していますが、学生たちは日本史や歴史に興味をもって勉強しています。かるたのような伝統的なものに興味があると思いますので、代々どのような思いでお店を続けて来られたのか、歴史をお聞かせください。

前田:創業は1800 年ですので、江戸時代の終わり頃です。創業者の大石蔵之助は能登出身の商人だと聞いていますが、なぜ商売に花札を選んだのかはわかりません。私どもは前田ですが、創業者とは親戚筋でして、大石家と前田家が後継者を途切らせないように養子を出し合ったりしながら、何とかいままで続けてきたわけです。大石家のほうは、途切れてしまったのですが、両家で担ってきたことが、これまで続けて来られた理由の一つだと思います。いまは、百人一首がメインの商材になっていますが、当時は娯楽用品がすごく少ない時代で、庶民の間で花札がよく使われていたので、メインの商材は花札でした。

塚本:そうなのですね。私の家は、お正月しかカードゲームをしてはいけないという決まりがある割と古風な家だったのですが、そのときにするカードゲームが子どもだったのに、なぜか花札でした。大石天狗堂では花札から百人一首がメインになっていくまでには、どんな推移があったのでしょうか。

前田:需要に応じてという形ですね。花札がよく使われていた時代は、娯楽がほかにあまりない時代でしたので。花札に限らず、こういったカードゲームはトランプなど世界を見ても賭博と切り離せないものですが、賭博に花札を使う場合は、いかさまを防ぐために毎回新しいものを使ったのです。そのために売れていったのですね。ただ戦後は賭博もなくなってきて、ほかの娯楽も増えてきた頃に、百人一首が教育に使われるようになると百人一首の需要が増えてきたということだと思います。

塚本:では、花札から百人一首に切り替わってきたのは昭和の時代のことで、割と最近のことなのですね。

前田:そうですね。百人一首そのものは昔からあって、もともとは貴族が遊ぶものでした。江戸時代には、すでに一般にも普及していたそうです。

最近のかるた界のトピックスといえば「競技かるた」。社団法人全日本かるた協会が唯一公認している競技用百人一首を製造しているのが、大石天狗堂である。

畳の上の格闘技「競技かるた」

前田:もう一つ、百人一首の需要が増えてきた理由は、ここ10 年ぐらいですが、「ちはやふる」という漫画の影響で、競技かるたが爆発的な人気を得たことです。百人一首は、本来は歌を愛でるものですが、競技かるたは、それとは方向性が違っています。かるた取りは、もともと寺子屋で文字や歌を覚えるために、いろはかるたが使われるようになったのがはじまりで、遊びながら学ぶ、いわば教材だったのです。それが、だんだん遊び方がスマートになっていって、競技かるたになったのです。競技かるたは、いかに速くかるたを取るかに焦点が置かれているので、歌の意味を知ったり、考えたりすることからは離れていったのです。というのも、いまの競技かるたの選手は、音と画像に反応してかるたを取っているそうです。決まり字といって、上の句の2 文字か3 文字ぐらいを覚えておいて、それで下の句を取っているのです。選手には「かるたの目」というものがあって、たとえば「みかのはら わきてながるる いづみがは」の決まり字は「みかの」ですが、下の句の「いつみきとてか こひしかるらん」が「みかの」に見えるというのです。

塚本:では、札自体も違うのですね。文字だけで、絵柄がないということですか。

前田:えぇ、歌の世界とは関係がないのです。

塚本:優雅な感じではないのですね。

前田:畳の上の格闘技と言われていますからね。骨折や突き指することもあるようですから。「ちはやふる」は実写映画にもなったので、それまでは競技かるたをしている人の需要しかなかったものが、映画を見た一般の方からも求められるようになり、恥ずかしい話ですが、うちの供給能力をはるかに超えてしまって、いまは数カ月待ちのような状況です。

塚本:競技人口が増えたのですね。

前田:学校の部活はもちろん、地域のかるた会に大人の方も参加されていて、京都でもすごく増えてきています。札が取れると、すごく気持ちがいいのでしょうね。

実用的な競技かるたから鑑賞用の光琳かるたまで、大石天狗堂では時代の要請によって、さまざまなかるたを製造してきた。これからは、どんなかるたが作られていくのだろう。

個人でも作れるオリジナルかるた

塚本:いまのお話を伺っていると、かるたは用途によって作っていくものなのですね。

前田:そうですね。小学生で初めてかるた遊びをする場合は、簡易なかるたでもいいですし、もう少し年齢が下の子どもなら、いろはかるた、ことわざかるたがあります。競技用かるたは、印刷の工程だけで作れるのですが、本格的な百人一首でしたら、1枚1 枚裏貼り仕上げしたものもあります。

塚本:これは裏貼りしているのですね。子どもの頃、どうやって作っているんだろうと思っていました。

前田:周囲を折り込んでいるんです。製作工程は、薄紙に印刷して、その下に厚紙を敷いて1枚の板紙のようなものにしてから寸法断ちして、これを私どもは「生地」と呼んでいるのですが、その「生地」ができ上がった後に、「生地」より大きな裏紙を貼ってその周囲を折り込んでいるというわけです。だから、この周囲の縁の部分に段差があるんですね。

塚本:へぇ、なるほど!

前田:これが昔ながらの裏貼りという作業になるんですけど、なぜそうしていたかというと、まだ厚紙がなかった時代には薄い紙を何枚も貼り合せていたので、それで周囲を切り落とすと、端からボロボロになってしまうので、最後に包むと丈夫になるということだったのです。今はもちろん厚紙もありますし、厚紙に直接印刷する技術もあるので、手作業で裏貼りを作れるところは、もう日本にはわずかしか残っていないんです。

塚本:手作りだと見た目もきれいですね。それで、丈夫にもなるということですね。

前田:はい。この頃は、デザインを持ち込んでくれたら本格的な手作りのかるたができますよと、私どもが宣伝してから、オリジナルの花札を作りたいという要望がすごく増えてきています。個人から法人まで、ノベルティ用に使っていただいています。その場合は、外部のデザイナーを紹介したり、産学共同で地元の大学生たちと一緒に作ることもあります。塚本先生は、子どもの頃から家庭で花札をされていたということですが、いまの30、40 代ぐらいの親の世代ですと、花札は知っていても遊んだことがないという人も多いと思うのです。すると、子どもに教えられないので、いまの子どもは花札すら知らない。このままでは消えていってしまうと思っても、私たち一業者にできることはほとんどないので、こんなふうに、外から目を向けていただければありがたいと思っています。

塚本:そうなんですね。花札は48 枚ありますから、学生もワイワイ相談しながら作って楽しかったでしょうね。本日は、ありがとうございました。

(佛大通信2018年2月号)

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