通信教育クロストーク

2018年04月30日
田中智子研究室(社会福祉学科)

「学びのサプリ」
社会福祉学部 社会福祉学科 准教授 田中 智子(たなか ともこ)


高校時代に出会った母親の生活が心に引っかかり

 高校生の時、5歳の障害児が家族と暮らす家に伺う機会がありました。マンション内の広々とした部屋の中には、ジムかと見紛うほど様々な器具が並べられていて、母親が専門家の指導を受けながら、症状の改善を信じ、自分の生活の全てをリハビリに費やしていました。それまで障害者と関わりを持つ機会のなかった私にとって、部屋の光景と母親の生活が心に引っかかるものとして残りました。
 大学進学を控えていた私は、その経験から障害児教育について学びたい、障害児学級の教員になりたいと思ったのです。当時、障害児教育の講座を持つ大学が少なく、「4年間だけだから」と親を説得。広島に進学しました。
 大学2年生の時に読んだ『シーラという子~虐待されたある少女の物語~』(トリイ・ヘイデン作)も、教員への意欲をかき立てました。学部生時代には、ボランティア活動に邁進。障害児たちの余暇をサポートするのが主な活動で、仲間と企画を考え、実行する、充実の時間を過ごすことができました。

母親たちからいただいた宿題その答えを見つけたい

 ボランティア活動やその後の障害者運動に関わる中で、また、大学院を休学してヘルパーとして働く中で、たくさんの母親たちに出会いました。2人の障害のある子どものケアのため、仕事や付き合い、多くのことを諦める人生を送る母親。どんなに福祉サービスが発達しても、障害者の親として生きていくことからは逃れられないと夜のメールに書かれた母親。打ち合わせを何度も重ね、行政に対して自分の意見を堂々と述べる母親たち。そんな母親たちの姿に心を揺さぶられた私は、障害者やその家族の在りようを明らかにすることが、母親たちが私に出してくれた宿題だと思いました。
 家族であることがなぜ大変なのか。母として生きることと、女性として社会人として生きることの両方を求めるのは贅沢なことなのか? そんな、母親たちが生活や生き方を通して与えてくれた“なぜ?”に答えを出さなければならないと思いました。
 子育てをするようになった現在、母親たちが出してくれた宿題はそのまま自分の問題にもなりました。そして、それは子どもの有無にかかわらず、全ての女性にとっての問題だと気づくこともできました。

北欧を訪ねて見えてきたこと導き出すべき答えは数多く

「少しばかりの敬意と平等が欲しい」
「いつかグループホームを壊してやる」
 これは、フィンランドに住む知的障害者が結成したパンクバンド「ペルッティ・クリカン・ニミパイヴァト」が、日本でも公開された映画「パンク・シンドローム」の中で披露する歌詞の一節です。彼らのライブには大勢のファンが訪れますし、国外公演も行っています。この作品に触発されたこともあり、ここ数年、度々フィンランドで視察や参与観察を行っています。
 実際にこの目で見た、障害者と暮らすフィンランドの家族の生活は、本当に“普通”でした。親たちは普通に仕事をして、夫婦の時間を持ち、自分の人生をきちんと生きていました。私が今まで出会ってきた家族、すなわち、日本の障害者の家族が置かれた特有の問題であることを知りました。
 日本も2014年に「障害者権利条約」を批准しています。「私たち抜きに私たちのことを決めないで」とのスローガンのもと、当事者参加も促されていますが、北欧の現状を見ると、その取り組みには、多く学ぶべきことがあります。
 障害を持つ子どもがいる家族にとっての親離れ、子離れは、日本では簡単ではありません。ケアラーである親は自身の老後を迎えても“親”の役目を果たし続けなければなりません。そんな実態を詳らかにしていくのも、私に与えられた“宿題”のひとつだと考えています。障害のあるないにかかわらず、普通の家族でいられる社会づくりに、私の研究が活かされることを願っています。

[経歴]
福岡県出身。広島大学大学院社会科学研究科博士前期課程修了。広島大学大学院社会科学研究科博士後期課程退学。佛教大学大学院社会福祉学研究科博士課程退学。2007年に佛教大学に着任。障害者のいる家族に生じる生活問題や障害者福祉援助の専門性などについて研究。4歳児と0歳児の母でもある。

(佛大通信2017年12月号より)

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