通信教育クロストーク

2016年12月26日
「分ける」ということ

「学部長の手帖から」
歴史学部長 渡邊 秀一(わたなべ ひでかず)

 辞書を開いてみると、「分化、分解、分岐、分業、分散、分析……分類、分離、分裂」と、「分」の文字を使った言葉が数多く見つかる。それだけ私たちは日常的に「分ける」ことを行っているということであろう。そして、分け方にも二分、三分……八分、十六分など色々あり、分けるための指標の取り方もまたさまざまである。

 地理学は、近代科学として成立して以来、20世紀後半まで、「分類」を地理学の有効な方法としてきた。高等学校の教科書はケッペンの気候区分やホイットルセーの農牧業地域の区分、都市の機能的分類など、「分類」であふれている。「分類」は複雑に関係しあった事象のある特徴をとらえ、事象をそして思考そのものを整理するためには確かに有効な方法の一つである。

 しかし、諸事象を分類し名称を与えることで逆に混乱が生じ、誤解が生まれることも少なくない。滋賀県の草津市を例に取り上げよう。草津市は歴史的には江戸時代の宿場町(東海道草津宿)として発展した都市だと説明されることが多い。宿場町とは支配者によって公用荷物の継送りを責務とする問屋が設けられ、その責務を果たすためにかたちづくられた集落である。継送りの事務を扱う問屋と輸送に従事する人足を現代に置き換えていえば、貨物ターミナルで様々な事務に携わる職員と実際に荷物を運ぶ運転士といったところであろう。荷物の取扱量は江戸時代よりも近現代の方がはるかに多くなっているのに、貨物ターミナルを中心に発展した都市があるとは聞いたことがない。宿場町の役割である公用荷物の継送りはいわゆる宿駅制度によって江戸時代の終わりまで維持されたが、その制度がなくなっても草津が衰退あるいは消滅することはなかった。そもそも宿場町、門前町といった分類はその町が成立した要因を指標にしたもので、決して発展の要因を説明するためのものではない。そこで、本陣や脇本陣、旅籠といったものを登場させ、発展ぶりを説明せざるを得なくなる。しかし、これとても江戸時代の宿駅制度の下で設置されたもので、草津の継続的な発展の理由づけにはなっていないし、宿場町は「本陣・脇本陣や旅籠が建ち並んで……」といった誤った理解を生み出すことにもなっている。

 大学院生の時、位相空間論に基づく地理学を展開していた先生に親しく指導を受けた経験がある。その指導の中で「分けることは結ぶこと」という教えを受けた。都市の城壁を例にして、「城壁は防御施設であるが、地理学にとってはそれ以上に重要な意味がある。城壁とは空間を都市の内と外に分ける装置である、しかし空間を分けて囲い込むだけでは都市そのものの存立が危うくなる、したがって城壁で空間を分けると同時に分けられた空間を結ぶ(つなぐ)装置が不可欠になる、それが城門である。」と。

 私たちは身のまわりの世界を何のための分けるのだろうか。「分ける」という行為には、意識的であれ無意識的であれ、目的があるはずである。自分が必要とする対象を他から分離・分別して取り出すことが目的の場合もある。もし、それが唯一の目的であるとすれば、「分けること」は他を排除するための方法にしかならない。草津市の宿場町にかかわる話は分類の目的を忘れ、町の歴史を強調するあまり他の要素(発展の要因)が覆い隠され、それが一般的になると宿場町そのものの意味さえ誤ったものになっていった例である。これは他を排除するといった考え方で行われたことではないが、結果は排除の思考と大差がない。「分けることは結ぶこと」、私はこの教えからまるで分けることに目的があるような、他との関係を考慮しない分類とその分類結果の利用は意味がないと学んだ。

(佛大通信2016年12月号より)

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