通信教育クロストーク

2016年09月23日
聴くということ

「学部長の手帖から」
社会福祉学部長 渡邉 保博(わたなべ やすひろ)

 身近な自然との出会いを大切にしている幼稚園(4歳児)の秋の保育の一コマ。ある日、近くに散歩に出かけ、川べりに林立するイチョウの木の下で、落ちてくる葉っぱを手で受けたりして遊んできた。その翌日のクラスでの話し合い、あるいは聴き合いとでもいうべき場面。「(私は)1枚とった」「2枚」「全然とれなかった」。「軽いやつ」と「重いやつ」があった。「(手に乗せて吹くと)軽いやつは飛んでいくけど、大きいやつは飛んでいかん」。2枚の葉を合わせたり「ペケポン」にすると「チョウチョ」「リボン」になった。大きい葉の葉柄は「長い」。葉っぱは道路や草や川に落ちた。「表、裏、表、裏」になりながら落ちてきた。道路に落ちてダンプカーに吹き飛ばされた…。子どもたちは木の葉の色・形・手触り・動きをよく見て楽しんでいる。なかなかのリアリストである。

 同時に、木の葉の葉柄は「手」で、その「手」で枝に「ぶら下がっている」という。保育者が、「「手」があるなら、あの高い枝についていたら、いろんなものが見えて楽しいのに」というと…「ずーっと(枝を)持っとったら疲れ」てきたので「手」を離して落ちてきた。「表、裏、表、裏」と落ちてくる葉っぱは「顔、背中、顔、背中を見せよう」と思って落ちてきたひょうきん者。「手がしびれた」から、「下(地面)にみんながいるから」「たくさん…楽しそうにいるから」「友だち(の葉っぱ)がいっぱいいるから」「いっぱい遊んでいるから」、「(枝に)ぶら下がっているだけだとつまんない」から、枝から落ちてきたという。また、「手」を放してゆっくり回転しながら落ちてきたり、「風さんが、たくさん押し」たので一直線に落ちていったりする。道路に落ちてしまったのは「いじわるい」風のせい、「車いっぱいいてる」から道路に落ちたら「あぶない」のにと言う子がいると、「(通り過ぎる車の風に巻き上げられて)暴れられる」のがうれしくて落ちていったという子もいる。

 風も雲も木も石も自分たちと同じように息をし、遊び、食べている同等の存在とみる幼児期の子どもたちは、自分の体験も重ね合わせながら、木の葉とその周辺世界の出来事の中に悲喜こもごものドラマを読み込んでいく。ある子の話を聴いて「自分としての発想」(木下順二、「きくとよむ」)を持ち、一緒になってドラマ作りを楽しんでいる。こんな形で、生きる喜びやつらさをそれぞれに共有し、確かめあっている。

 子どもたちは、日々の生活の中で、自分が見たこと、感じたこと、思ったことを保育者や友だちに聴いてもらう体験を通して、自分の思いが受けとめられることを喜び、期待するようになる。この体験の積み重ねは、自分の思いに対する自信となり、自分を信じる気持ちを育む。こうして「“自分を大切に思える人”の土台がつくられていく」(芹澤清音+バオバブ霧が丘保育園、1・2歳児の自己肯定感の土台を育む)と言える。

 もちろん、聴くことは、保育・幼児教育にとどまらず、人と人との関係の基本だろう。

(佛大通信2016年9月号より)

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