佛大通信ちょっと読み2018年01月号
5/13

5いったりしています。金澤:私は京都移住と聞くと、市内のような街中よりは田舎のほうをイメージします。佛教大学でも美山町(南丹市)と地域提携協定を結んでいて、美山でもIターン、Uターンを受け入れていますから。田村:「京都移住計画」も、発端は京都市内だったのですが、2014年からは京都府からのご相談があって府の事業にも関わらせていただくことになって、京都市以北は全自治体、南は和束町、宇治田原町、笠置町などへの定住促進も事業として今はやっています。もちろん、美山も対象エリアです。 「京都移住計画」では、京都にIターンやUターンで移住してきた人同士や、これから京都に移住したい人との交流の場「京都移住茶論」も開催している。❖移住経験者と交流できる「京都移住茶論」❖金澤:「京都移住茶論」とは、どんな主旨で開催されているのですか。田村:これは京都市内における事業なのですが、移住検討組の方と、すでに移住してきた方が交流する場を不定期ですが市内で開催しています。2017年12月に31回目となりますが、今までの参加者は延べ500名から600名ぐらい。京都市内で300名ぐらいの移住してきた人たちとのつながりがあります。例えば一人で移住すると孤独になって、地域とのかかわりがどんどん薄れていくので、まずは人とのつながりが大事だと思っています。いきなり、京都の人と関わるのは難しい部分があるかもしれませんが、同じ境遇で移住している先輩に会える場があると、すごく心強いと思います。金澤:それはいいですね。地域の中に先輩がいて、いろんなしきたりや細かいところまで相談できる人ができればいいなと思います。その地域に入っていった定住者の経験を聞くことは、重要ですよね。田村:そうですね。相談者が空き家を探すフェーズまで来た場合は、移住の先輩も紹介しています。南丹市にテダスというNPO法人があるのですが、そこでは「集落の教科書」というのを作成していて、 大学を卒業後は、東京で人材関連の企業に勤務していた田村さん。京都にUターンして、京都へ移住を希望する人に寄り添う事業「京都移住計画」をはじめた理由は何だったのだろう。❖「いつか」のために今できることをしよう❖金澤:まず、京都への移住を希望する人に、それを実現できるような事業を自分たちではじめようと思ったきっかけを教えていただけますか。田村:僕は、就職で東京へ行ったのですが、もともと5年ぐらいしたら京都に戻って来るつもりでした。東京で経験を積んで、京都に戻って何か仕事をしたいなと思っていたのです。東京では会社員をしながら、シェアハウスの運営もしていたのですが、そこには関西出身の同世代の人が多く集まっていました。社会人3年目の時、東日本大震災が起きて、キャリアデザインや転職のカウンセリングが本業だったこともあって、彼らに東京で住み続けたいのかどうかを聞いてみたのです。すると、「別に東京に一生住みたいわけではない」と言うのです。でも、一生住みたいわけではない街に、なぜか学生の頃からずっと住んでいるわけです。そこに違和感をもって、いつかはと言いながら、先延ばしにしていると実現しないこともあると思うので、いつかのために今できることをしませんかという提案をしようと思ったのです。みんなで移住のための準備をしたり、計画を立てようという呼びかけからはじまりました。最初は会社員をしながら、京都の企業や場所、人などの情報を提供するところからはじめました。金澤:「京都移住計画」というのは会社名ですか。田村:ちょっとややこしいのですが、事業名と捉えてくださればいいと思います。会社は「ツナグム」で、「つなぐ」と「産む」の造語です。僕の場合は、前職が人と企業をつなぐ仕事だったので、京都の中小企業とこちらに移り住んで来る人をコーディネートするような役割だったり、京都の企業に取材をして、京都にこんな面白い会社があるというのをウェブで伝えて「385PLACE」は西陣の帯会社「都」の自社ビルの一部を改修し、シェアオフィスとコワーキングスペースに。都の自社ビルであることから、“385(=みやこ)”と名付けられた。ビルの入口に設置された「385PLACE」。新たな交流が生まれることで、また新たなことが起きる場を目指す。TRAVEL.1京都移住計画とつながる事業「京都移住計画」からは、京都で学ぶ学生たちが自分の地元(地域)を見直すきっかけとなる場「ローカルナイト」や、地方での価値や選択肢を生みだす拠点を運営する「ミツカルーMEETS LOCALー」が生まれた。

元のページ  ../index.html#5

このブックを見る